さらばショーケン、反逆のカリスマ 70年代を“体現”「太陽にほえろ!」殉職シーンが強烈
歌手・俳優として活躍した萩原健一さんが26日にGIST(消化管間質腫瘍)のために亡くなったことが28日、分かった。萩原さんは1950年生まれ、埼玉県出身。仲間内でケンと名の付くメンバーが3人いて、身長の順番に“ダイケン”“チューケン”“ショーケン”と呼ばれていたことから、萩原さんはそのままショーケンと呼ばれるようになったという。
65年に、ザ・テンプターズにボーカリストとして加入。67年10月、シングル「忘れ得ぬ君」でデビューした。68年には「神様お願い!」「エメラルドの伝説」が大ヒットし、ザ・タイガースの「ジュリー」こと沢田研二と並ぶアイドル的な人気を博した。
グループサウンズのブームは短く、テンプターズは70年に解散。萩原さんは71年にテンプターズの大口広司、タイガースの沢田、岸部一徳、スパイダースの大野克夫、井上尭之とニューロックのスーパーグループ「PYG」を結成したが、これも自然消滅した。
75年には、ファーストソロアルバム「惚れた」を発表。ソロでは「愚か者よ」、映画「竜二」の主題歌「ララバイ」やBOROのカバー「大阪で生まれた女」などを残した。
俳優としては、72年から出演した「太陽にほえろ!」のマカロニ刑事役では殉職シーンが強烈な印象を残した。同年の映画「約束」で鮮烈な印象を残し、ドラマ「傷だらけの天使」、「前略おふくろ様」、「祭りばやしが聞こえる」や映画「股旅」、「青春の蹉跌」などで、政治運動が挫折した70年代の若者のアイコンになった。
映画では「八つ墓村」、「影武者」などの大ヒット作に出演し、83、86年には日本アカデミー優秀主演男優賞を受賞した。
ドラマでは大河ドラマ「太平記」、「元禄繚乱」、「利家とまつ」などに出演。「不惑のスクラム」(18年)でも大きな存在感を示していた。
最後の仕事は、昨年11月19日放送のTBS系「歌のゴールデンヒット~年間売り上げ1位の50年~」での堺正章との対談。PYGについて「1足す1が10にも20にもなるはずだったのに、ゼロになってしまった」などと振り返っていた。