有馬稲子 2度の離婚「子供が欲しかった」 ケアホームでの生活語る

 女優・有馬稲子(85)が6日、テレビ朝日系で放送された「徹子の部屋」に出演。2度の離婚、10年前から暮らす介護マンションでの生活などを旧知の黒柳徹子(83)を相手におおいに語った。

 同局系昼の帯ドラマ「やすらぎの郷」(月~金曜、後0・30~50)に出演中の有馬。「これが私の最後の仕事になる、と思って引き受けたんです」と出演の経緯を説明した。

 10年前から介護つきのマンションで1人暮らし。自宅からの引っ越しの際は、「人にあげたり、捨てたりして」と、物を処分するのに苦労したそうで、「(移って)1年ぐらいは部屋にダンボールが天井まで(積み上げて)ありました」。現在は500人ぐらいが居住しているそうで、「実生活とドラマが重なってるんです」と笑った。現在は、共有の庭で花壇作りを楽しんでいるという。

 波乱の人生。4歳の時、韓国にいる伯母夫妻に引き取られた。終戦を迎え、韓国から引き揚げ。宝塚音楽学校に入学し、17歳で初舞台。退団後は21歳で映画の世界に飛び込んだ。

 小津安二郎監督、市川崑監督をはじめ巨匠に認められ、日本映画黄金期を支えると共に「五社協定」に反発し、女優仲間と「にんじんくらぶ」を設立。映画界の活性化にも尽力した。その後、舞台へと活躍の場を移し、世界で初めて舞台化した「風と共に去りぬ」で主役を務めるなど、舞台女優としての才能も開花させた。映画出演はおよそ70作、舞台出演は約180本になる。

 実生活では2度の離婚を経験。1961年11月に萬屋錦之介(当時は中村錦之助)と挙式。披露宴には、有馬の親代わりとして、作家・川端康成氏夫妻が出席。故・大川橋蔵さん、岸恵子らが出席し、当時の新聞では「映画史上はじまっての盛大な結婚式」と報じられた。

 しかし、結婚生活は長くは続かず、65年に離婚。69年、不動産会社を営む実業家K氏と再婚。K氏の会社が多額の負債を抱えて倒産し、有馬は懸命に働いたが、約5年後の83年2月に離婚した。有馬は「力及ばなかった。彼は女に寄りかかって生きていくのが耐えられなかったのでしょう。陽気な人だっただけに、仕事がうまくかなくてふさぎ込んでいるのを見るのは私もつらかった。これが別れの一番の原因です」と会見で語っていた。

 この日の番組では、2度の結婚を振り返り「(一度目は華やかで…)そうです。最初はね」としみじみ。きょうだいはいるが、あまり連絡は取り合ってはおらず、「(離婚して)1人になった時はいいなと思ったんですよね。でも、今、ちょっと寂しいですね。子供が欲しかった。それが本当に残念で」と吐露した。

 最近は人生の最期を考えるという。黒柳が「私、あんまり考えない。100(歳)まではいけるかな、と思いますけど」とあっけらかんと語ると、有馬は「いやいや、130ぐらいまでいけますよ」とほほえんでいた。

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