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安藤昇さんお別れの会 北島三郎ら参列

 たくさんの花に囲まれた安藤昇さんの祭壇(撮影・村中拓久)
 安藤昇さんとの思い出を語る北島三郎
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 本物のやくざからやくざ映画の大スターとなり、昨年12月16日に肺炎のため死去した安藤昇さん(享年89)のお別れの会が28日、東京・青山葬儀所で開かれた。

 歌手の北島三郎(79)、発起人を務めた俳優の梅宮辰夫(77)、岩城滉一(64)、村上弘明(59)、堀田眞三(70)、映画監督の中島貞夫氏(81)、降旗康男氏(81)、梶間俊一氏(72)ら約700人が参列。お互いをデビュー前から知っていた北島が、故人との思い出を語った。

 北島と安藤さんが出会ったのは昭和30年頃、安藤さん率いる愚連隊「安藤組」の本拠地・渋谷で北島が流しをしていた。安藤さんは「おいボウズ、どうだ?元気か?頑張ってやりな」と、いつも声をかけてくれたという。

 その後、映画俳優に転身した安藤さんと歌手デビューした北島は共に東映やくざ映画に出演するようになり、京都撮影所で再会した。安藤さんは一人前になった北島を「ボウズ」とは呼ばず、「サブちゃん、久しぶり。懐かしいね。一緒の世界に入ってやりたいと思っているので、これからもよろしく」とあいさつ。北島は「うれしかったし、恐縮しました」と振り返った。

 2人は「昭和残侠伝 破れ傘」(1972年)で共演し、北島の依頼で安藤さんが北島の浅草国際劇場公演に1週間ゲスト出演したことも。北島は「懐かしさと寂しさがある」としのんだ。

 この日は安藤さんと25年来の親交があった実行委員長の海老澤信氏(61)が最期の様子を明かした。腎臓を患い透析を受けていた安藤さんは昨年12月、体調を崩し検査入院。亡くなる2日前まで元気だったが容体が急変し、苦しまず「全てやりつくして悔いのない満ち足りた姿」で亡くなったという。

 お別れ会では安藤さんの好きだった白い花で横16メートル、高さ3・5メートルの祭壇が彩られ、90年代末に撮影された本人お気に入りの写真が遺影として飾られた。中島監督と堀田が弔辞を読んだ。戒名は常然院義鑑道昇居士(じょうねんいんぎかんどうしょうこじ)。

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