大瀧さん 並外れた音楽知識と多芸多才
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1972年にベルウッド・レコードを立ち上げた音楽プロデューサーの三浦光紀氏が、30日に解離性動脈瘤で亡くなった大瀧詠一さんについて「アメリカン・ポップスに精通していた」と日本の音楽シーンに残した業績を振り返った。「ニューミュージック」という言葉を日本で初めて使った人物と言われる三浦氏が大瀧さんの音楽知識の豊かさと多芸多才ぶりなど思い出をつづった。
大瀧詠一(本名・大滝栄一)さんの歌を最初に聴いたのは、1970年8月5日に発売された、はっぴいえんどのデビューアルバム(通称・ゆでめん)でした。1曲目の「春よ来い」を聴いたとたん、日本にもこんな凄(すご)いボーカリストがいるんだと衝撃を受けてしまったんです。
その後、高田渡さんやはっぴいえんどのレコーディングを通じて、彼のミュージシャンとしての才能はもちろん、並はずれた音楽の知識と多芸多才ぶりを知るようになります。