正代が大関昇進!本名のまま活躍した力土ってどれくらいいるの?

大相撲の正代が秋場所で優勝し大関に昇進した。今後も本名でとり続けると表明した。本名力士はしこ名でも違和感ない“珍名”さんが多いようだ。これまで本名のまま番付を駆け上がっていった力士を挙げてみよう。

公開日:2020.10.20

 北尾光司(きたお・こうじ=本名同じ)1963年8月12日生まれ。三重県津市出身。15歳で立浪部屋入門。79年春場所初土俵。北勝海、小錦、寺尾らと同じ昭和38年生まれで「花のサンパチ組」と呼ばれ、199センチの長身と抜群の相撲センスで出世していった。84年秋場所で新入幕、85年九州場所後に大関に昇進。86年夏場所で巨漢の小錦を大技、さば折りでねじ伏せた一番は衝撃的だった。同年名古屋場所後に、22歳11カ月で横綱に昇進。しこ名を「双羽黒」に改名したが、昇進後は故障や不振に苦しんだ。87年12月下旬に立浪親方(元関脇羽黒山)と対立して失踪騒動を起こし、同年大みそかに電撃引退。優勝回数ゼロのまま、24歳の若さで角界を去った。横綱在位8場所は昭和以降2番目の短さ。
 その後はプロレス界に活躍の場を求めるも、トラブルを立て続けに起こし追放された。98年に格闘技界を引退。19年2月に慢性腎不全で亡くなった。55歳だった。

保志(ほし) ※大関昇進以降は北勝海

平成元年の初場所で優勝した北勝海

 保志信芳(ほし・のぶよし=本名同じ)1963年6月22日生まれ。北海道広尾郡広尾町出身。79年春場所初土俵。九重部屋の兄弟子・千代の富士の猛稽古で鍛えられ、83年春場所で新十両、同秋場所、20歳で新入幕を果たした。86年春場所には本名の「保志」のまま、幕内初優勝。大関昇進後に「北勝海(ほくとうみ)」に改名した。87年夏場所後に横綱に昇進。立ち合いのぶちかましからの突き押しに加え、四つ相撲でも力を発揮した。92年夏場所前に28歳で引退。現在は八角親方、日本相撲協会理事長。優勝8回。三賞11回。通算591勝286敗109休。181㌢、150㌔。

板井(いたい)

1988年3月16日デイリースポーツ紙面
板井=1991年1月25日

 板井圭介(いたい・けいすけ=本名同じ)1956年3月21日、大分県臼杵市出身。大分水産高(現海洋科学高)に入学後、本格的に相撲を始めた。実業団の黒崎窯業を経て78年に大鳴戸部屋に入門し、序ノ口から三段目まで3場所連続で優勝した。デビュー26連勝を記録した。79年秋場所新十両、80年秋場所で新入幕を果たした。三賞2回。金星3個。幕内在位は54場所。最高位は小結。横綱大乃国キラーとしても有名で、右手専門の張り手は相手のアゴではなく、左こめかみを標的にしていた。食らった大乃国は意識もうろうとすることもしばしばだった。91年秋場所で引退。
 00年に週刊誌などで大相撲の八百長の存在を告発。08年には記事を巡る裁判に証人として出廷し、自らの八百長への関与を認めた。

蔵間(くらま)

1977年9月10日デイリースポーツ

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