36歳、錦織圭が涙の現役ラスト試合「試合終わるまで泣くなんて思ってなかった」“エアK”もさく裂、世界8位ティアフォーと熱戦もストレート負けで19年間のプロ生活に終止符「やり切ったという思いはある」
「テニス男子・木下グループ・ジャパンオープン」(1日、有明コロシアム)
シングルス1回戦が行われ、元世界4位の錦織圭(36)=ユニクロ=は第2シードで世界8位のフランシス・ティアフォー(28)=米国=に0-2(4-6、4-6)で敗れ、現役最終戦を終えた。今年の全米で4強入りを果たした強豪相手に一歩も引かぬプレーを披露。12、14年大会を制した自国開催の舞台に最後の勇姿を刻み込んだ。
会場は平日昼にもかかわらず、観客席最上段まで埋まり、「ありがとう錦織圭」と書かれたボードを持ったファンの姿も。「let’s go KEI」の声や手拍子も飛んだ。第1セット第1ゲームにいきなりブレークされたが、第3ゲームをしっかりキープすると、第4ゲームには「バック・エアK」と驚嘆したダウンザラインを決めるなど、ブレークに成功した。しかし、第7ゲームにブレークを許すと、第9ゲームはキープに成功したが、そのまま4-6で奪われた。
第2ゲームは第3ゲームで先にブレークを許ししたが、第7ゲームをラブゲームでキープするなど食らい付いた。第9ゲームをラブゲームでキープしたが、最後はドロップショットを返せず、19年間のプロ生活に終止符が打たれた。
試合後、ベンチで休みながら涙。松岡修造氏から感謝を伝えられ、杉山愛、国枝慎吾、伊達公子、日本代表・添田豪監督というレジェンドたちから花束を贈られて、再び涙した。その後、松岡氏からインタビューを受け「全く試合終わるまで泣くなんて思ってなかった。5歳からテニス初めて、これだけ積み上げてきた30年がここで終わっちゃうんだな、本気でプレーすることはなくなるという喪失感が一気に押し寄せてきた。悲しさが大きいですね。自分では頑張ったと思いますけど、なかなか自分の理想のプレーには程遠い中で、惜しいところまでは戻ってこれたと思うが、悔しいですねこういう終わり方は。やりきったという思いはある。満足はしてます」と語った。
5歳からラケットを握り、17歳だった07年からプロ転向。14年全米オープン準優勝、世界ランキング4位、16年リオデジャネイロ五輪での日本勢96年ぶり銅メダルなど、数々の伝説を残し続けてきた。
178センチ、73キロと決して恵まれた体格ではなかったが、それを補って余りある強烈なリターンや、硬軟織り交ぜた絶妙なショットを支える俊敏さを持ち、代名詞の「エア・ケイ」など華やかさも兼ね備えた。日本テニス界の一時代を築き、「ビッグ4」と堂々と渡り合う姿は、多くのファンを魅了した。
ただ全身全霊でポイントをもぎ取るスタイルは負担が大きく、近年は故障に悩まされた。22年1月に股関節の手術を受け、その後も左膝や右肩などを負傷。主戦場は次第に下部ツアーになり、そして世界ランク464位だった今年5月にSNSで引退を発表した。
最後の四大大会となった8月の全米オープンは予選3回戦で坂本怜(20)=IMG=に敗れ、今回のジャパンオープンを迎えた。9月25日に行われた会見では、「悔いはないけど、悔いがないように自分がしたいテニス。コートで悔いなく終われるようにしたい」と意気込んでいた。
◆錦織圭(にしこり・けい)1989年12月29日、島根県松江市出身。5歳でテニスを始め、13歳から米国の名門アカデミーに留学した。07年に17歳でプロ転向。08年にフロリダで行われたデルレイビーチ国際選手権で、日本男子では松岡修造以来となるツアー初優勝を果たした。14年全米オープンで日本勢初の四大大会シングルス決勝に進出。16年リオデジャネイロ五輪シングルスで銅メダル。ツアー通算12勝、世界ランキング最高は4位。20年12月に元モデルの山内舞さんと結婚。子ども2人。青森山田高出身。178センチ、73キロ。
