渡邊雄太が「イップス」に陥った過去 克服のきっかけは女子ゴルフ界レジェンドからの長文返信
バスケットボール男子Bリーグ・千葉ジェッツの渡邊雄太(30)が「イップス」に陥った過去と、意外な人物の助言で克服した経緯を明かした。YouTubeチャンネル「SHOVEL SPORTS」で長編のインタビュー動画が公開。NBA3シーズン目を迎える直前の2020年夏、シュートイップスに悩んだ時期のことを振り返った。
当時、渡邊はメンフィス・グリズリーズでの2年間を終え、トロント・ラプターズのトレーニングキャンプに招待されていた。正式契約に至るために、定評のあったディフェンスだけでなくオフェンス面でも結果を出さなければならない。そのプレッシャーからか、急にシュートが打てなくなった。
「ひとりで練習してる時は、いつも通りリラックスして打てているのが、誰かの目の前だともう体が硬直して、自分のシュートじゃないみたいな感覚になっていました」
イップスとは、それまで普通にできていた動作が、精神的な要因によって突然できなくなってしまう症状を指す。ゴルフのパッティング、野球の送球、テニスのサーブなど、あらゆるスポーツで報告されており、プロアスリートがキャリアを断念するきっかけになることすらある。
「プレッシャーだったりとか、いろんなストレスだったりとかだなっていうのは分かってたんですけど、解決策は正直何も分からなかったです。これが一生治らないかもしれないっていう不安もありました」
シュートが入らなければ、次の契約はない。生き残りをかけた戦いの中で、絶望的な状況に陥ってしまった。それでも渡邊は懸命に前を向いた。
「でも、これで挑戦することだったりとか、努力することをやめたら終わりだなと思って。結局やることはいつもと変わらないし、もうとにかくそれを忘れるぐらい練習しようと思って、練習するしかなかった」
そんな中、渡邊選手に救いの手を差し伸べたのが、ゴルフ界のレジェンド、宮里藍さんだった。
渡邊はかつて出演したテレビ番組で、宮里さんが現役時代にイップスに悩まされたエピソードが取り上げられていたことを思い出した。
「なんか聞けることは聞けないかなと。失礼かなと思ったんですけど、ダメ元でDMをしました」
一言でもいい。何かアドバイスを…。すがるようにメッセージをした渡邊に、やがて返信が届いた。
「もうすごい長文が返ってきて…なんかもう恐縮してしまいました。解決法というのはないけど、私の場合はこういうことをしたらこうなった、それからこうしたらこうなって…と。もう本当に細かく教えていただいて」
面識があったとはいえ、あいさつ程度の関係だった渡邊選手。それでも「ダメ元で」相談を持ちかけたところ、予想以上に親身になって話を聞いてくれたという。
「一言でもいいんで、なんかアドバイスもらえればと思ってたところを、自分の場合はこうで、こうで、こうでっていうのを、もう本当に細かく、アドバイスしていただいて」
イップスには明確な解決法はないとされている。宮里さんが伝えたのも具体的な解決法ではなかった。
しかし、同じ苦しみを経験した者同士だからこその「共感」があった。実体験を踏まえた「必ず乗り越えられる」というメッセージは、渡邊にとって大きな支えとなった。
その直後。「この試合で結果を出さなかったら、もう後がない」という重要なプレシーズンマッチで、大きな転機が訪れた。
「正直、シュート全く入る気がしなかったんで、もうシュートは1本も打たずに終われるのがベストかなと思ってたんですよ。もう入るわけないと思ってたんで」
何とかディフェンスのほうでアピールできれば…。その思いもむなしく、試合開始早々にノーマークでフリーになる場面が来てしまった。
「パスが飛んできて、どっちかっていうと本当にぶん投げたっていう感じですよね。ボールをシュート打ったっていうよりは。自分の感覚の中では、投げ捨てしてしまうみたいな感じで投げた」
そのシュートは、きれいな放物線を描いて決まった。
後日、映像で確認したが、イップスとは思えないほどスムーズで美しいシュートフォームでもあった。
「バスケットの神様がボールを入れてくれたんだなっていう風に思いましたね。やっぱり自分がやってきた努力だったり、そういうのをバスケットの神様が見てくれてて、あれだけ1発目の本当にみんなが注目してる中で決められたっていうのは、もう本当に努力を見てくれてた神様が手を差し伸べてくれたとしか思えない」
その1本で、すべてが変わった。
「もうそこからは今までのことが何だったのかっていうぐらいリラックスして試合が続けられるようになって。その次の試合、その次の次の試合も3ポイントシュートでアピールできた。そしてそのままトロント・ラプターズと契約っていう形になりました」
結果として、渡邊は6シーズンにわたって世界最高峰の舞台であるNBAでプレーすることができた。
「あの1本で僕のNBA生活が大きく変わりました」。しみじみとそう振り返った。




