織田信成 有終の舞4位で2度目の引退 母の涙にもらい泣き 来年は「違う形で携われたら」
「国民スポーツ大会・フィギュアスケート」(29日、ヘルスピア倉敷アイスアリーナ)
フィギュア成年男子フリーで、今大会で引退する織田信成(37)=大阪・大阪スケート倶楽部=がフリーで128・85点、合計206・45点の4位で現役最後の公式戦を終えた。ショートプログラム(SP)首位の佐藤駿(埼玉・明大)がフリーも1位となり、合計276・07点で優勝した。同成年女子SPは世界選手権3連覇中の坂本花織(24)=兵庫・シスメックス=が国際スケート連盟(ISU)非公認ながら、自己ベストを上回る80・41点で首位に立った。
織田はラストダンス前から涙が止まらなかった。そのまま演技に入り、冒頭の4回転トーループで転倒。それでもチームメートや観客の声援を受けて滑りきった。「シーズンで一番悪い演技で、それがラストっていうのが自分らしい」と、取材場では泣き笑いだった。
リンクに降りる前、コーチとして幼少期から指導を受けてきた母・憲子さんが「やり切って」と話して涙する姿に、織田ももらい泣き。感情の整理をつけることができず「途中から体は軽かったが、気持ちの部分で急いでしまった部分があり、タイミングが合わずに演技が終わったのが悔しい」と振り返った。
22年11月の現役復帰から2年あまり。4回転ジャンプにも果敢に挑み、経験を重ねた表現力でフィギュア界を刺激し続けた。4児の父としては「やりたいことをやらせてもらって、周りに迷惑をかけた」と反省も。しかし「(昨年末の)全日本選手権で、アスリートとして頑張っている僕の姿を子供たちに見せることができて、それは妻の思いも一つ達成できた」と家族の支えに報いた。
全日本選手権では膝の状態悪化を口にしていたが「今なぜか絶好調で、また練習したいくらい」と明かした。しかし「今回はさすがに引退します。来年は(ミラノ・コルティナ冬季)五輪もあるので、違う形で携われたら。またそっちの方で応援してもらえたらありがたい」と、最後は笑顔でリンクを後にした。
◆織田信成(おだ・のぶなり)1987年3月25日、大阪府高槻市出身。スケート選手だった母・憲子コーチの影響などから7歳でスケートを始めた。05年に世界ジュニア選手権を制し、10年バンクーバー五輪は7位入賞。14年ソチ五輪代表を逃し、13年12月の全日本選手権を最後に現役を引退した。その後はアイスショーなどで活躍し、22年11月に現役復帰。3男1女、4児の父でもある。164センチ。




