羽生結弦 自らを「絶対王者だぞ」と鼓舞し続けフィギュアのレベルを革新的に押し上げた男

 NHK杯で自らを鼓舞し、「絶対王者」として君臨した羽生結弦 
 史上初の300点超えを果たして喜ぶ=15年11月28日
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 14年ソチ五輪、19歳で金メダルを獲得した若武者は、王道を歩んでいく。15-16年シーズン、羽生結弦は、アスリートとして覚醒の時を迎えた。15年NHK杯、GPファイナルと神がかった演技で、異次元の世界最高得点を連発。フィギュアスケートのレベルを革新的に押し上げた。「絶対王者だぞ」と自らを鼓舞し、銀盤を統べた。敵はもはや自分自身、羽生結弦だけだった。

 銀盤で荘厳な舞をみせる陰陽師に、すべての視線が吸い寄せられていく。黄金の称号を纏(まと)った男は、ついにアスリートとして、表現者として、覚醒の時を迎えた。

 2015年11月、長野で行われたNHK杯。ショートプログラム(SP)で自身のSP世界最高得点を更新する106・33点で首位発進を決めると、フリーは後に自身の代名詞となる「SEIMEI」で驚異的な演技を披露。美しく、神秘的とすら思わせる滑りは、見る者を魅了し、ジャンプ、スピン、ステップ、そして表現、すべての要素で大幅な加点を引き出した。フリー世界初の200点超えとなる216・07点、合計でも世界初300点超えの322・40点。それまでパトリック・チャンが保持していた世界最高得点を27・13点も上回る異次元のレコードに、羽生は演技後「いまだに信じられない」と興奮冷めやらぬ様子で語り、「ただ、得点は狙っていた。“絶対王者だぞ”って言い聞かせて、自分にプレッシャーを懸けていた」と笑った。

 12月のGPファイナル(バルセロナ)ではSP、フリー、合計のすべてでさらに得点を伸ばした。合計330・43点で、男子初の3連覇を達成。当時、その演技は現地の実況で「ジョーダン・スピース(ゴルフ)、メイウェザー(ボクシング)、メッシ(サッカー)、Cロナウド(サッカー)、彼らに匹敵する」と、メジャー競技のトップスターの名と並べられ称賛された。帰国した羽生は、1年を象徴する1字に「成」を選んだ。そして嗜(たしな)んでいた将棋に例えて言った。「成長したシーズンだと思う。歩のように進んできて、やっとここまでこられた」。自らの壁を破った実感があった。

 この得点は2018年夏に採点法が変更されるまで君臨。「ヒストリックレコード(歴史的記録)」として、今もフィギュア史に刻まれている。

 競技生活を終えた中で、当時をこう振り返る。「この時が一番、過去の自分が怖い時期だった。どうやって前の試合の自分に勝っていくか。そればかり考えていた気がする」。 焦点は羽生が羽生を越えていけるかだけだった。他者の嫉妬すら追いつかない、憧れすらも届かない。自らに畏怖を覚えるほどの成長で、青年はフィギュアスケートの枠を飛び出す存在へと駆け上がっていった。(デイリースポーツ・フィギュアスケート担当・大上謙吾)

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