白鵬が引退会見「優しさと弟子思いの親方になっていきたい」【一問一答】

 引退会見でこれまでの思いを語る白鵬(手前は宮城野親方)=代表撮影
 引退会見を終え、退場する白鵬(左)と宮城野親方(代表撮影)
 引退会見を行った白鵬(代表撮影)
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 史上最多45回優勝を誇る大相撲の第69代横綱白鵬(36)=本名白鵬翔、宮城野部屋=が1日、両国国技館で引退と年寄「間垣」襲名の会見を開いた。過去の言動を問題視され前日、誓約書付きで年寄襲名が承認されており、親方として第一歩はノー失言、優等生回答でクリアした。会見では約20年の土俵人生を全うし男泣き。手術した右膝は限界で全勝優勝した名古屋場所の10日目に引退決断したことを明かした。白鵬との一問一答は以下の通り。

  ◇  ◇

 (やや緊張の面持ちで入場)

 -会見の席に着き。

 「大変緊張しています。そして、ほっとした気持ちでいっぱい」

 -いつ引退を決断したか。

 「名古屋場所中の10日目で決めました」

 -10日目、どのような思いだったか。

 「去年の8月に手術をした。(今年1月に)コロナ感染になり3月にまた右膝の手術。進退をかける最後の場所、膝も言うことを聞かなくなり、そして、この場所は10勝、2桁勝利が私の目標だった。初日、必死の相撲で勝ち若手との一番一番、決して簡単な取組はなかった。その10勝の目標を達成した時に宿舎に戻り、親方をはじめ、部屋の皆さん、裏方に『今場所で引退させていただきます』ということを伝えた」

 -奥さま、子供たちには伝えた時は。

 「奧さんは残念がっていたけど、子供たちからは頑張ってほしいという声はあった」

 -モンゴルのお母さまへは。

 「母に電話をした時に、よく頑張ったなと。体が大事、ということでした」

 -20年以上、土俵に上がり続けて。

 「本当に早いような感じ。本当に相撲が大好きだなと。幸せものだなと思います」

 -入門した頃を思い出すと。

 「今があるのは、宮城野親方、師匠が、私に声をかけられたおかげ。この場を借りて、師匠に感謝をしております。本当に師匠が優しくて、弟子思いで。その親方にほめてもらいたい。(その)一心で稽古に励んでおりました。その思いが、関取になり、横綱・大関に昇進していくことにつながった」

 -目標を立てながらここまできた。

 「大相撲に入る時は、横綱になりたいという夢はありましたけど、45回優勝したいという目標は立ててはいなかったと思います。一つ一つの積み重ねがこの結果につながった」

 -綱の重みは。

 「横綱に昇進した頃、右も左も分からない時に大鵬親方と出会ったことに感謝いたします。大鵬親方に『横綱というものは宿命の中で頑張らないといけない。負けたら引退』という言葉をかけられた。32回優勝した昭和の大横綱の言葉は重かった。横綱として、3年、5年、8年、10年頑張りたいという気持ちになりました」

 -負けたら引退の言葉は何度も思い浮かんでいたか。

 「特にこの6場所(連続)休場というのは大変重いものがありました」

 -角界に不祥事があり、東日本大震災の中でも力を尽くした。

 「それを経験したことが私の財産。今後の後進指導に生かしていきたい」

 -白鵬杯も設立した。子供たちへ。

 「26歳から始まって10年。すでに大会で活躍した子供が入門し、自分と対戦し、場所で負けました。大会の花は咲いたのかな」

 -ここ何年か、横綱審議委員会をはじめ、厳しい意見があった。

 「自分の理想の相撲『後の先』というものを追い求めた時期もありました。最多優勝を更新してからはケガに泣き、自分の理想とする相撲ができなくなった。反省していますし、自分自身も残念に思っています」

 -自身にしか分からないつらさもあった。

 「最多優勝の記録を更新した時に目標を失う、夢を失う寂しさ、悲しさはあった。目標が大きくあればあるほど、将来、大相撲を目指す子供たちが頑張っていくんじゃないかという思いで、一生懸命頑張った」

 -家族への思いは。

 「近くで奧さんと子供たちが支えてくれたことでここまで来られた。ことわざもあると思いますけど、強い男の裏には賢い女性がいる。この場を借りて、妻に感謝したい」

 -記憶に残る取組を1つ選ぶとしたら。

 「2つ選びたい。上がってきて、上位で壁に当たった時。最初で最後の金星は横綱朝青龍関に勝った一番(2004年九州場所11日目)と、何と言っても、双葉山関の69連勝(を目指した)時に負けた稀勢の里関(10年九州場所2日目)だと思います」

 -どんな親方になっていきたいか。

 「師匠のように、優しさと弟子思いの親方になっていきたい」

 -土俵に思い残すことは。

 「全部出し切りました」

 -最後の相撲となった名古屋場所千秋楽の相撲。土俵に上がる前に額を土俵に付けた。

 「呼び出しに名前を呼ばれ、これが最後の一番だと思い、この20年間の感謝の気持ちを伝え土俵に上がった」

 -照ノ富士関が横綱になり、秋場所で優勝した。

 「名古屋場所では肌で感じ、後を託せるなと感じました。本当に若手力士が力を付けていることは名古屋場所でも15日間、感じましたし、バトンを託せると思いました」

 -相撲人生は続く。厳しいことも言われたが親方として生かす。

 「人に優しく自分に厳しく、義理と人情を持った力士に育ってもらいたい」

 -悔しかった一番は。

 「やっぱり、稀勢の里関に63連勝で敗れた一番。その一番があるからこそ、63連勝にふさわしい相撲を取らなきゃいけない、恥ずかしくない相撲を取らなきゃいけないという思いでここまで来られた」

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