高砂親方、長嶋茂雄さんの影響でスパッと現役引退「惜しまれながら」が「私の美学」

 大相撲11月場所(8日初日、両国国技館)後の12月9日に65歳を迎え、定年となる元大関朝潮の高砂親方(本名・長岡末弘、高知県出身)が4日、東京都墨田区の高砂部屋でオンライン会見した。

 入門から43年に及ぶ角界人生。「(悔いは)ない。あんまり欲をかくと良くない。腹八分目くらいがちょうどいい」と語った。

 近大在籍時、2年連続で学生&アマチュア横綱2冠に輝き、高砂部屋入門。78年春場所、幕下60枚目格付け出しで初土俵を踏んだ。

 デビューから5場所で新入幕。80年夏場所で三役昇進後、大関挑戦に「7度」失敗しながら、27歳時の83年春場所後に新大関に昇進。85年春場所で悲願の初優勝を果たした。当時、最強の横綱北の湖には13勝7敗(1不戦勝)と勝ち越すなど上位キラーで沸かせた。「大ちゃん」の愛称で愛された人気力士だった。大関を36場所務め89年夏場所で現役を引退した。三賞は殊勲賞10回、敢闘賞3回、技能賞1回。金星5個。

 現役時代の一番の思い出はやはり、1度の優勝。「阪神タイガースが優勝した、その年に。あれも十何年ぶり。俺は1回きりだったけど。優勝した時はもう1回と思ったけど、なかなか簡単にできるものじゃなかった」と、振り返った。

 優勝した場所では6日目の保志(後の横綱北勝海)戦で額を切り流血して勝利。そこから千秋楽まで10連勝で決めた。代名詞は頭からのぶちかましで、当時は額が切れたら、調子がいいと言われた程。「(ぶちかましが)なかったら優勝もできなかった。大関にもなれなかった。血の気が多かったから抜けた方が良かった」と、笑みを浮かべた。

 鳴り物入りで角界入りし、スピード入幕。幕内3場所目の79年春場所で高砂部屋伝統の朝汐の名を襲名した(後に朝潮となる)。「プレッシャーがあった。横綱、大関のしこ名ですからね。逆に励みにして、頑張ったつもり」と言う。

 ぶちかましはプロに入って磨いた。「部屋に高見山さん、小錦さんと大きい人がいっぱいいたから。当たる分には苦労しなかった。プロで番付を上げるためには頭で当たって前に出る相撲。自分で気がついてそれをやりだした」と、部屋の環境も大きかった。

 巨漢の北の湖とも相性が良かった。「僕らの入った時の王者。その人に勝つのが夢。倒したい気持ちがあった。当たりやすかった。同じ左の相四つだから。その部分が勝てた要因と思う。1、2、3回と勝つに従って、『よしっ、勝てる』という感覚になった」と、自信を付けていった。

 横綱には届かないまま、第二の故郷、大阪で引退。「僕は何でも大阪。幕下付け出しも優勝も引退も大阪。仲間がいっぱいいてリラックスさせてくれた」と言う。引退場所は大関かど番ではなく、次の場所で再起することもできたが、すぱっと決断した。

 「もう1年、大阪まで持ってくる自信がなかった。切りのいい大阪で辞めようと。知人、先輩、監督とたくさんいた。あいさつ回りも1回で済む。12年もやっていたし、12年目はしんどいなあと思って、それならここで」と理由を明かした。

 引き際のいさぎよさは巨人軍・長嶋茂雄氏からも影響。「長嶋茂雄さんの引退を見てきている。『巨人軍は永遠に不滅です』というね。惜しまれながら辞めていくのがプロスポーツ選手の美学。私の美学。華のあるうちに辞めて次の仕事がしたいと思った」という引退時を振り返った。

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