北尾光司さんが死去、慢性腎不全で 元横綱双羽黒 廃業後、プロレスラーに

 元大相撲第60代横綱の双羽黒で、プロレスラー、総合格闘家としても活躍した北尾光司さんが2月10日午前7時30分に慢性腎不全のため死去したことが29日、分かった。55歳だった。

 2013年より腎臓を患い闘病生活を送っていたという。2月13日に通夜が、14日に告別式が営まれ、3月28日には納骨されたという。生前の本人の希望で、家族葬として執り行われた。

 妻の淑惠さんは「北尾光司は、6年間の闘病生活ののち、2月10日慢性腎不全のため、千葉県内の病院で他界いたしました。葬儀は生前からの本人の希望で娘と私だけの家族葬としました。何かと世間をお騒がせしましたが、主人は曲がったことが大嫌いなとてもピュアな人でした。この場をお借りしまして、主人を応援してくださった皆さまに厚く御礼申し上げます」とコメントした。

 北尾さんは、中学卒業と同時に立浪部屋に入門。79年春場所初土俵を踏み、84年秋場所で新入幕。85年九州場所後に大関に昇進した。

 86年名古屋場所後に第六十代横綱に昇進。幕内優勝経験がない史上初めての例だった。入門以来本名だったが、横綱昇進時に「双羽黒」へ改名した。

 破天荒な言動も注目を集め、87年12月、師匠の立浪親方(元関脇安念山)と衝突して部屋を飛び出し、親方が廃業届を提出した。

 引退後、90年に新日本の2・10東京ドーム大会で、本名の北尾光司としてプロレスデビュー。クラッシャー・バンバン・ビガロを破った。91年にはSWSの神戸大会でジョン・テンタ相手に「八百長野郎」という暴言を吐き、92年に参戦したUWFインターナショナルでは高田延彦のハイキックでKO負けしている。94年には北尾道場を旗揚げした。

 総合格闘技では96年にUVFでペドロ・オタービオ、UFCでマーク・ホールにKO負けしたが、97年のPRIDE旗揚げ戦でネイサン・ジョーンズに一本勝ち。1勝2敗の戦績を残し、98年のPRIDEで引退した。

 2003年には立浪部屋のアドバイザーに就任して角界復帰を果たした。

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