「ミスターラグビー」平尾誠二さん逝く 53歳 全国のラグビーファンに衝撃

 日本ラグビー史上屈指のスター選手として活躍し、日本代表主将、監督も務めた平尾誠二氏が20日午前7時16分、死去した。53歳だった。関係者によると、ここ最近は体調を崩していたという。ことし4月に大阪市内で行われたシンポジウムに出席。夏以降は公の場に姿を見せていなかった。葬儀・告別式の日取りは未定。

 「ミスターラグビー」と呼ばれた名プレーヤーも病魔には勝てなかった。53歳という若さでの早すぎる旅立ち。ラグビー関係者、そして平尾氏の華麗なプレーに魅了された全国のラグビーファンに衝撃が走った。

 トレードマークの口ひげが似合う端正な顔立ち。そして気さくな関西弁。しかし人の心をつかむ言葉の数々はいつもスマートで、プレーぶり同様、華やかさがあった。

 京都・伏見工高の栄光はテレビドラマ「スクール☆ウォーズ」のモデルとなり、同大では史上初の全国大学選手権3連覇。神戸製鋼の7季連続日本一に貢献し、3度のW杯出場で日本代表キャップ(国・地域協会の代表選手として国際試合に出場した数)は35を数えた。バックスのセンターのポジションで抜群のキャプテンシーを発揮し、80年代後半から90年代前半にかけて日本のラグビー界を引っ張った。

 きらびやかな戦績と卓越したリーダーシップを買われ、97年には34歳の若さで日本代表監督に就任。99年の第4回大会で指揮を執った。しかし、「平尾ジャパン」は、1次リーグで3戦全敗。長期政権の期待も寄せられたが、翌年の欧州遠征の大敗により辞任という屈辱も味わった。

 その後は神戸製鋼の総監督、ゼネラルマネジャーを務め、チームの強化に全力を注いだ。また、19年ラグビーW杯日本大会組織委員会の理事も務めた。

 苦汁の味を知る平尾氏だからこそ、日本ラグビー界へ貴重な提言が期待されていた。しかし、日本開催の19年W杯を見届けることなく天国へ旅立った。

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