【87】「高校野球は教育や!」米国に感動呼んだ天王寺・政先生

 「日本高野連理事・田名部和裕 高校野球半世『記』」

 いよいよ全国で選手権の地方大会が本格化した。

 しかし、残酷なことに1回戦で必ず半数が敗戦する。試合が終わった後、指導者がどんな言葉で部員たちの労をねぎらうのか、いつも気になる。

 夏の大会を待たずにこの春引退した指導者がいる。

 大阪府立天王寺高校の政英志(まさ・ひでし)先生だ。天王寺高校は全国でも有数の進学校だ。

 戦後再開された選抜大会と選手権大会で一度ずつ甲子園に出場しているがその後はない。

 政先生は自身の高校野球体験を元に指導者の道を目指した。

 あれは2002年ごろだったと思う。米国のドキュメンタリー番組を制作する会社から高校野球の取材申し込みがあった。全米で放映するという。

 日本の高校野球の精神性の高いことに感銘を受けたようだ。天王寺高校と智弁学園和歌山を中心に収録された映像「koko yakyu」を見ると、政先生は大会前、ベンチ入りする選手の発表場面で、背番号を渡された選手が一人ずつ決意を表明するシーンが今も強く印象に残っている。最後の1人、18番の選手は3年生だ。なぜ彼を選んだかを政先生は説明する。いつも集中力を切らさず、チームのために自分は何ができるかを考えていた姿勢を挙げた。

 そして、ベンチに入れない部員全員の名前を順に呼び、18番は彼ら全員の代表だと。大阪で一番輝いている18番になれと励ます。感動的なシーンだ。全員には「高校野球は武道に近いと思っている。相手の弱いところを攻めるのではなく、自分の力をいかに発揮するかだ。敵は相手ではなく自分だ。そうすればおのずと結果が付いてくる」と諭す。

 全員一丸となって臨んだ大会も3回戦で敗れた。政先生はロッカーで泣き崩れる選手たち一人ひとりに声をかける。そして最後の言葉は「負けたら悔しいなぁ。先生もお前たちともっと一緒に野球がしたかった。でも高校野球は教育や、今までの体験がこれからの人生に生かされる。ここまで支えてくれた家族や仲間に感謝をしよう」と結ぶ。

 4月に退任の手紙をもらった。日々の生活を知って驚いた。毎朝始発電車に乗り5時27分に正門を開ける。部員が登校する6時までに教室の清掃と黒板をピカピカにする。その後グラウンドに向かいトラクターで整備する。そんな過酷な日程を自ら課していたが3月についに過労で入院。そして無念ながらこれ以上周りに心配はかけられないと、35年間のユニホームを脱ぎ、62歳で再任用を辞退した。

 こんな指導者に支えられている高校野球が世界に発信された。

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