【27】ラッキーゾーンこぼれ話 甲子園にラッキーな本塁打は似合わない

 「日本高野連理事・田名部和裕 僕と高校野球の50年」

 阪神甲子園球場のラッキーゾーンは戦後の1947年5月に設置された。両翼91メートル、中堅が119メートルだった。

 ラッキーゾーンを設置することを耳にした学生野球の父・飛田穂洲翁は外野の一部に特別なゾーンを設けてそこに入れば本塁打と勘違いされたそうで、それはおかしいと苦情を言ったとか。

 その後76年に左、右中間の最深部が108・5メートルから106メートルに短縮されていた。

 僕は、87年の年末に狭心症を発症して入院していた。すると入院を聞きつけられた当時阪神タイガースの2度目の監督に就任した村山実さんが、大きな花束をもってお見舞いに来て下さった。

 大学野球部の大先輩だ。病院のロビーは話題の監督の訪問で、にわかに騒がしくなったのを覚えている。

 エレベーターホールまでお見送りした時、それまで考えていたことを切りだした。

 「お願いがあります。高校野球は金属製バットでどうも飛びすぎるようです。本来力のない選手が甲子園で本塁打を打つとその後の人生が狂ってしまうのではないかと心配しています。あのラッキーゾーンは何とかなりませんか」。

 これに「来年からオープンする東京ドームも両翼は100メートル、甲子園も広げた方がいいと思う。一度相談してみる」と応じて下さった。

 村山さんは翌シーズンからの撤去を提案されたそうだが、当時はブルペンに使用されていたことと、予備の芝生の養生地として活用されていたので全面撤去は難しかった。

 村山さんから「ブルペンの際まで下げるようにした。最深部が2・5メートルだけど広がる」と電話をいただいた。タイガースの安芸キャンプ中に工事、選抜大会に間に合わせて下さるという。これで少しは高校野球も変わると思うと実にうれしかった。

 それからまた4年後の91年6月頃だったと思う。今度は阪神タイガースの三好一彦球団社長が連盟に来られた。「このオフにラッキーゾーンを全面撤去しようと思う」と連盟の意向を打診して下さった。もちろん牧野直隆会長も大賛成だった。翌年から両翼が91メートルから96メートルになった。

 ラッキーゾーンが撤去された第64回選抜大会では前年比本塁打が18本から7本(うち1本はランニングホームラン)に減、三塁打は逆に16本から30本に倍増した。外野手の守備力が問われ野球が面白くなった。

 でも広くなった甲子園を物ともしなかった星稜の松井秀喜選手はこの春に3本塁打を放ち、夏にはあの5敬遠が起きた。

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