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赤江珠緒アナ、甲子園は大きな財産 初実況は「逃げ出したくなった」

 元朝日放送アナウンサーで1999年から3年間、高校野球のテレビ、ラジオ実況を担当した赤江珠緒さん(43)。現在はフリーとして活躍する赤江さんのアナウンサー人生には「いろんなことの結晶みたいな場所」という甲子園が、大きな財産となっていた。

  ◇  ◇

 アナウンサーが夢だった。でも、自分が実況席に座るとは夢にも思わなかった。兵庫県出身の赤江さんが小、中学時代を過ごした西宮市では、地元の小、中学校の連合体育大会が毎年甲子園球場で開催された。その時踏んだ土が始まりだった。

 「小学6年から中学2年まで、甲子園で走りました。土を持って帰ってはいけないと言われるんですが、ブルマーに入れたり靴に土をつけて帰ったり。父とかち割りを手に観戦もしました」

 レールは入社前から敷かれていた。先輩の関根友実アナが同局で初めて女性で野球中継を実況。その後継者に抜てきされたのだ。

 「赤江は頑丈だからと。入社3カ月くらいでいきなり地方大会の球場に連れて行かれたけど、どこからしゃべっていいかわからない。『人が右から左に動いています』とか言ってました。まず先輩からPC間(投手と捕手の間)の練習をしようと言われて『ピッチャー投げました、打ちました、捕りました』だけをひたすら。次は一、二塁間を抜ける球だけと、パーツごとに練習しました。自分でテープに吹き込んで、社に帰ってきて先輩に聞いてもらう。修業して3年目にデビューしました」

 1999年夏。新湊-小松のテレビ中継が初実況となった。

 「その前日のことは忘れもしません。実況の先輩の横でスコアをつけながら、明日は私がやるのかと思ったら、グラウンドの選手が遠くに見えてクラッとしてしまった。怖くなって逃げ出したくなった。夕方の打ち合わせの時も『顔が土色で死んでるぞ』と言われるほどぼうぜんとしていました」

 緊張の初実況はいきなり延長に突入した。

 「気が付けば、指導をしてくださった先輩のみなさんが大丈夫かと周りにいてくださって。当時はテレビ、ラジオ、スカイAと3つ同時に中継していたのですが、横のスカイAにいた和沙哲郎さんがご自分でしゃべりながら私の実況を聞いて『それでいけ!』などと合図を送ってくれました。私の実況を聞きながら自分の実況をされていたんです」

 女性初のラジオ実況を含めて1大会で5、6試合、地方大会を合わせて3年間で約30試合を実況した。自身の日々は、球児の3年間に重なるという。

 「1年目はただがむしゃらで、目の前で起きていることを正確に伝えたいと必死でした。つたなくて反省して次の夏に向けて秋、春季大会でまた練習して。2年目は1年目よりうまくやりたいと欲が出てきた。すると、技術的には上がっているはずなのに、1年目のフレッシュさがなくなったと言われました。技術じゃなく自分の熱量が見透かされていたようでドキッとしました。3年目はその夏が終わったら報道(担当)に行くことになっていた。おそらくこれで最後だと思った時に、3年生もこんな気持ちでやっているのかと。後輩に背中を見せなきゃと思いました」

 フリーに転身後も報道、バラエティー番組など多岐にわたる分野で活躍を続ける。実況経験はその後のアナウンサー人生にも大きな影響を与えている。

 「その場にあることを描写する瞬発力やしゃべり続ける持久力が鍛えられました。ワイドショーでは緊急ニュースで映像だけ見てしゃべり続けてくれというのがあります。野球実況で、この試合は自分の持ち場だと覚悟を持てたことは大きかったと思います。ここは自分で乗りきらなきゃいけないと自分を信じ、自分でやるしかないという気持ちにさせていただいた」

 子供の頃に土をこっそり持って帰った聖地は今も特別な場所だ。

 「時にアルプス、時にスタンド、時に通路下、時に記者席といろんな角度からのぞかせてもらいましたが、どこを切り取っても絵になりドラマがある。家族のお話、監督さん一人一人の歴史を聞いてもすごい。いろんなことの結晶みたいな場所です。『みなさんは球児たちの憧れです』とコメントされた先輩がいましたが、並々ならぬ努力をされてきた球児はみんな輝いている。すごく年下で自分の子供でもおかしくないのに、いまだに憧れるのが不思議です。これからもずっとまぶしい存在であり続けてほしいと思います」

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