【夏の選手権100回大会企画2】青森の高校野球

 青森の夏の高校野球史を語る上で、1969年の第51回大会に出場した三沢は欠かせない。

 甘いマスクでアイドル球児の先駆けとなったエース・太田幸司(元近鉄など)を中心に、強豪を次々と破って青森県勢初の決勝進出を決めた。

 決勝は松山商と対戦。延長十八回引き分けで、史上初の決勝再試合で敗れた。準優勝に終わったが、無名の公立校と四国の名門の激闘に、青森だけではなく全国が熱狂した。

 青森の高校野球は、この試合をきっかけに勢いづくかと思われたが、翌年から“暗黒時代”に突入してしまう。以降は代表校が13大会連続で初戦敗退。うち8校が完封負けという屈辱を味わった。

 89年の第71回大会で、弘前工が負の歴史に終止符を打った。2回戦・石川戦で、県勢として20年ぶりの勝利。3回戦で仙台育英に敗れはしたが、大越基(元ダイエー)を擁する優勝候補と互角の戦いを演じ、青森の高校野球界にとって久々の明るい話題となった。

 90年代後半からは、青森山田と八戸学院光星の私学2強時代を迎える。

 青森山田が先に台頭した。野球留学生を受け入れるなど、野球部を強化し、93年の第75回大会で初出場。99年の第81回大会では、青森出身のエース・松野公介の活躍で県勢30年ぶりの8強進出を果たした。

 2004年からは6年連続で出場。05年の第87回大会は、左腕エース・柳田将利(元ロッテ)が大黒柱で、1回戦で智弁和歌山に逆転勝ちした。

 06年の第88回大会3回戦は、大会2連覇中の駒大苫小牧に9-10でサヨナラ負けしたが、あと一歩まで追い詰めた。

 八戸学院光星は95年に就任した金沢成奉監督(現明秀学園日立監督)と、後を受けた仲井宗基監督の指導で、11年の第93回大会と、12年の春夏で史上初の3季連続準優勝を果たした。

 12年の第94回大会は、準々決勝で松井裕樹(楽天)に15三振を喫しながら、八回に田村龍弘(ロッテ)、北條史也(阪神)の連続適時打で勝利。決勝では藤浪晋太郎(阪神)を擁する大阪桐蔭と接戦を繰り広げたが、0-3の惜敗した。

 青森では県外選手が中心となったチームの躍進が目立っていたが、13年の第95回大会では、弘前学院聖愛が青森出身選手だけで初出場。3回戦へ進出した。

 また、青森山田は11年の不祥事をきっかけに、地元選手でのチーム作りに切り替え、17年の第99回大会で8年ぶりに出場。地元の野球熱は高まっており、悲願の優勝が期待されている。

 ◆青森県勢の夏の甲子園アラカルト

 【出場回数ベスト5】

1位・青森山田11回

2位・八戸学院光星8回

3位・八戸6回

4位・八戸工大一5回

4位・弘前実5回

 【勝利数ベスト5】

1位・八戸学院光星19勝

2位・青森山田12勝

3位・三沢5勝

4位・東奥義塾3勝

5位・弘前学院聖愛2勝

 【最高成績】

 準優勝・八戸学院光星(2回=2011、2012年)、三沢(1969年)

 【通算成績】

104試合

45勝58敗1分

勝率・437

 【主な監督】

氏家規夫…1996年に青森山田の監督に就任。1999年夏に8強進出。仙台育英、東陵などでも監督を務め、合計8回の甲子園へ出場した。

金沢成奉…1995年に光星学院(現八戸学院光星)の監督に就任し、1997年に初出場へ導いた。同校では春夏通算8回(春4回、夏4回)出場して通算8勝。現在は明秀学園日立監督。

仲井宗基…201年に八戸学院光星の監督に就任。11年夏、12年の春夏で史上初の3季連続準優勝を果たした。春夏通算9回(春5回、夏4回)出場し、通算19勝を挙げている。

 ◆デイリー独断!青森の高校を卒業した選手のベストナイン

【先発】三沢・太田幸司(元近鉄)

【中継ぎ】青森山田・吉田一将(オリックス)

【抑え】七戸・橋本武広(元ロッテ)

【捕手】青森北・細川亨(楽天)

【一塁手】三沢商・佐々木明義(元巨人)

【二塁手】青森山田・京田陽太(中日)

【三塁手】八戸学院光星・北條史也(阪神)

【遊撃手】八戸学院光星・坂本勇人(巨人)

【外野手】弘前実・工藤隆人(中日)、弘前実・外崎修汰(西武)、三沢・柿崎幸男(元日本ハム)

【指名打者】

八戸学院光星・田村龍弘(ロッテ)

(ポジションはプロでの守備位置、所属は現役の最終所属)

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