北別府氏が死去 早すぎる65歳 広島史上最多213勝の大エース 闘病生活も最後まで不屈の闘志

 広島のエースとして活躍し、球団初の200勝投手となった北別府学氏=デイリースポーツウェブ評論家=が16日午後0時33分、広島市内の病院で死去した。65歳だった。鹿児島県曽於市出身。通夜、告別式は未定。2020年に成人T細胞白血病(ATL)を公表し、末梢(まっしょう)血幹細胞移植を受けた。昨年6月下旬には敗血症にかかっていることを妻・広美さんが明かしていた。広島の黄金時代を支えた右腕は白血病を起因とする長い闘病生活の末、息を引き取った。

 球史に残る大エースが天国に旅立った。北別府氏は3年半にわたって病魔と闘ったが、家族が見守る中で静かにこの世を去った。

 2020年1月20日、成人T細胞白血病(ATL)と診断されたことを公表。入院後は抗がん剤治療を繰り返した。同年5月には息子をドナーとする末梢血幹細胞移植を受け、同年7月に退院できるまでに回復。一時は自宅療養をしながら、通院治療を受けていた。

 21年3月は1年2カ月ぶりに解説者を務める広島ホームテレビの番組にコメンテーターとして現場復帰。「もう一回、生きるんだ。もう一度野球をやるんだ。そういう気持ちで闘病生活を乗り越えました」。力強い言葉と元気な姿に、多くの人が勇気をもらった。

 現役時代と同様に、不屈の闘志で病魔に立ち向かった。22年春には腎機能の低下などで人工透析を開始。同年6月中旬は感染症で入院し、敗血症を患った。それでも翌7月に「反撃を諦めない」のタイトルでブログを更新。直後には敗血症を克服したことを公表した。同年夏には外部コーチを務めていた英数学館が広島大会で広陵を撃破。教え子の奮闘も力に変えた。

 だが、今年の年明けに帯状疱疹(ほうしん)による体調不良をきっかけに容体が悪化。今春は意識が混濁する日々が続いたが、妻・広美さんは懸命なサポートを続けた。北別府氏が目を覚ましている時間は、ライブへ行くことを楽しみにしていたという大好きな小田和正の曲をかけるなど励ました。しかし、5月下旬には退院予定だった日に脳内出血が判明。自宅に帰れないまま力尽きた。

 1975年度ドラフト1位で都城農から広島に入団。「精密機械」と称された制球力を武器に、3年目から11年連続で2桁勝利。92年7月16日・中日戦で球団史上初の通算200勝を挙げ、20世紀最後の200勝投手となった。

 広島史上最多の通算213勝。5度リーグ優勝、3度の日本一に貢献し、86年の最多勝&最優秀防御率など数々のタイトルを獲得した。94年の現役引退後は広島投手コーチや解説者として活躍。12年に野球殿堂入りした。

 カープ愛にあふれ、自身のブログでは後輩たちの背中を押してきた。闘病を告白した際には「解説者としてカープの日本一を見届けるために必ずや復活します」と力強かった。「ペイさん」の愛称で親しまれた偉大な投手が残した記憶と記録は、ファンの心にずっと生き続ける。

 ◆北別府 学(きたべっぷ・まなぶ)1957年7月12日生まれ。鹿児島県出身。現役時代は右投げ右打ちの投手。都城農から75年度ドラフト1位で広島入団。抜群の制球力を生かし、広島のエースとして11年連続2桁勝利。92年には球団初の200勝を達成した。最高勝率3回(85~86、91年)。最優秀防御率(86年)、最優秀選手(86年)、ゴールデングラブ賞(86年)各1回。最多勝(82、86年)、ベストナイン(82、86年)、沢村賞(82、86年)各2回。通算成績は515試合213勝141敗5セーブ、防御率3.67。94年の現役引退後は2001~04年に広島1軍投手コーチを務めた。12年野球殿堂入り。

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