【野球】オリックス・仰木監督が命を懸けた指揮から17年 宮内オーナー花道とともに結実した「信汗不乱」

 パレードする吉田正(左)と中嶋監督(撮影・高部洋祐)
 退任を発表し、宮内オーナー(左)と握手をかわす仰木監督=2005年9月29日
 日本一で胴上げされる宮内オーナー=10月30日
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 オリックスが3日、大阪市内の御堂筋で行われた「大阪・光の饗宴 2022 開宴式」で優勝パレードを実施した。「がんばろうKOBE」を掲げての連覇、日本一から26年。「冥土の土産というと叱られるな。仰木さんに報告ができた。無上の喜びです」。10月30日、今季で勇退する宮内義彦オーナー(87)は、神宮球場で胴上げされた後、そう話した。亡き名将・仰木彬氏が命を賭して指揮した最後のシーズンから、17年がたっていた。

 球界を激震させた再編問題を経て誕生した近鉄との統合球団「オリックス・バファローズ」。2005年、その初代指揮官を務めたのが仰木氏だった。両球団を率いた経験、そして「マジック」と称される変幻自在の采配。4月に70歳を迎えようとする中で「野球界の地殻が動く。血が騒ぐ」と、4年ぶりに監督へ復帰した。公にはされていなかったが、すでに肺がんを患っており、病と闘いながらの壮絶なシーズンだった。

 緻密なデータを駆使した大胆な采配で、もめにもめた分配ドラフトでも整いきらなかった戦力をやり繰りし、前評判を覆して3位争いを演じたが、病状は確実に進行していた。月に一度、地元・福岡市内の病院で受けていた定期検診は2週間に一度に短縮。微熱が続き、夏場でもジャンパーを羽織り、ベンチ裏には氷水で冷やしたタオルが用意されていた。周囲に表情を悟らせまいと濃いサングラスを欠かさず、ナイターの試合中に「今、風はどっちや?」と聞かれチームスタッフが驚いたほどだった。

 8月下旬、担当だった記者は「今季限りで勇退」と書いた。「ヒッヒッヒ、いつも記事は小さいのにな」。監督は楽しむように笑っていた。62勝70敗2分けの4位でレギュラーシーズンを終えた9月末、体調面から監督を退任、シニア・アドバーザーに就任した。

 福岡市内で主治医の下、闘病生活を送ったが、2カ月半後の12月15日、呼吸不全のため帰らぬ人となった。記者が最後にお会いしたのは10月7日、後任の中村勝広監督の就任会見だった。「ゆっくりと、と言っていいのかな、大変と言っていいのかな」。イスに斜めにもたれかけ体調に苦笑しながらも、補強の話には自然と力が入った。グラウンドには立てなくとも、まだまだチームを強くするつもりだった。

 「信汗不乱」。仰木氏の座右の銘だ。己が信じる道で汗を流せば迷うことはない。必ず道は開く。迷走もあったが、ようやく黄金期を迎えつつある「オリックス・バファローズ」。御堂筋をオープンカーで進むナインを見ながら、命を懸けて礎となった名将の笑顔が浮かんだ。(デイリースポーツ・石川真之)

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