元横浜監督・渡辺元智さんが死去 甲子園優勝5度 教え子に松坂大輔、涌井秀章ら多数のプロ 1970~2000年代まで4つの年代で制した唯一の監督
高校野球の強豪、横浜の監督として甲子園通算51勝、春夏5度の優勝を遂げた渡辺元智さんが死去したことが17日、明らかになった。81歳だった。1968年から2015年まで指揮し、98年に松坂大輔投手(元西武、レッドソックスなど)を中心に史上5校目の春夏連覇。教え子には中田良弘氏(元阪神=本紙評論家)らプロで活躍した選手が多数おり、高校日本代表監督も務めるなど技術振興にも寄与した。
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昭和、平成の高校野球で中心を担った名将が、輝かしい功績を残して旅立った。野球ファンなら誰もが知る実績の一方で、97年に心室細動、04年に脳梗塞を発症し、メニエール症候群にも悩まされるなど、病と闘いながらの人生だった。
98年の甲子園春夏連覇は30年近くも前になるが、今もファンの胸に鮮明に残る。“平成の怪物”と呼ばれた最強右腕を育て、97年秋の神宮大会、翌98年春と夏の甲子園、神奈川で行われた国体の4冠を達成した。特に夏は準々決勝のPL学園戦で延長十七回の死闘を演じ、準決勝の明徳義塾戦は0-6から大逆転。京都成章との決勝は、松坂が59年ぶり2人目の決勝戦ノーヒットノーランを達成した。渡辺さんの指揮下でナインは、小説や漫画も及ばないような名勝負を繰り広げた。
47年間の監督生活で甲子園51勝、優勝5度。時代の変化を読みながら選手と心通わせる指導のたまものだった。自身は甲子園出場経験がなく、一般企業勤務からコーチを経て68年、24歳で母校の監督に就任。関東学院大の夜間部に通い社会科教諭の免許を取得し、教壇にも立った。
長期にわたり第一線のチームを作り続けた一因は、柔軟な思考にあった。初めの頃はスパルタ。厳しい練習で選手を鍛え上げ、73年春に甲子園初出場初優勝したが、次の段階では、自主性を尊重した指導にシフト。後に「選手と会話をして相手側に立つ。選手の気持ちを理解しようと努めました」と振り返っているが、80年にはその手法で愛甲猛(元ロッテなど)らを擁し、夏の甲子園初優勝を果たした。
81年に米国で野球を勉強したこともあった。90年は、高校の同級生だった小倉清一郎氏(元部長)をコーチに招へい。“名コンビ”と称された小倉氏とのタッグで、優しさと厳しさを使い分け、強豪校の地盤を固めた。
自身は学生時代は外野手だったが、投手育成の手腕が高く松坂のほか涌井秀章、成瀬善久ら、後にプロを代表する投手を育てた。部長、総監督時代を含めると教え子のプロ選手は50人を超える。個性を見極め、一人一人に合った練習方法を研究。日本高野連による若手指導者研修会「甲子園塾」の講師も務め、指導法を後進に伝えた。
06年にセンバツ3度目の優勝。これで70年代から00年代まで、4つの年代で甲子園を制した初の監督となった。13年夏は、念願だった“祖父孫鷹”出場もかなえた。孫の佳明(現楽天)が2年生のチームを率い、通算51勝目。これが監督として甲子園での最後の勝利となった。
15年夏に70歳で勇退。最後の試合は、神奈川大会決勝で東海大相模に敗れ甲子園を逃した。退任後は総監督としてサポート。渡辺さんが燃やし続けた情熱は、多くの後輩たちに引き継がれる。
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渡辺 元智(わたなべ・もとのり)1944年11月3日生まれ。神奈川県松田町出身。横浜では外野手で甲子園出場はなし。65年から母校のコーチを務め、68年に監督就任。73年のセンバツ優勝を皮切りに98年の春夏連覇など甲子園通算51勝で優勝5度。70年代から2000年代まで、4つの年代で甲子園を制した唯一の監督。15年夏に勇退。
