複数の守備位置で球団最多出場を果たした選手は?【プロ野球記録企画】
デイリースポーツの記録担当がプロ野球のさまざまな記録をひもとく新企画「記録の向こう側」(随時掲載)がスタート。今回は複数の守備位置で球団最多出場を果たした選手を取り上げる。
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衣笠祥雄は1965年に広島へ入団した。京都・平安時代は捕手。1年目には18試合でマスクをかぶった。翌年には一塁手にコンバートされる。68年には127試合に出場し、21本塁打と頭角を現した。うち123試合で一塁を守り、定位置を確保した。
74年オフにジョー・ルーツ監督が就任すると、強打の一塁手ゲイル・ホプキンスの獲得を決めた。三塁手への転向を打診された衣笠は、これを受け入れる。全130試合でサードとして出場。コンバートが奏功した広島は初優勝を飾った。
76年限りでホプキンスが去ると、77年から水谷実雄が外野から一塁へ回った。守備に難のあった水谷は、最後の打席が終わると交代するケースが多くなる。三塁に三村敏之らが入り、衣笠が一塁に回る形が確立された。衣笠が三塁と一塁の双方を守った試合は563試合にのぼった。
「江夏の21球」として知られる、79年の日本シリーズ第7戦の九回。近鉄に無死満塁と攻められ、古葉竹識監督は救援投手の準備を命じた。「俺が信頼できんのか」といら立った江夏に気付いた時も、衣笠は一塁の守備位置から語りかけた。
一塁手での出場1493試合はセ・リーグ歴代4位、三塁手1638試合は同3位。ともに広島での最多でもある。プロ野球歴代7位の504本塁打、そして史上最長の2215試合連続出場で名を残した鉄人は、守りの分野でも大きな足跡をしるしていた。(デイリースポーツ・高野 勲)
A…広島の衣笠祥雄。一塁手での1493試合、三塁手での1638試合はいずれもチーム最多
