「球界の寝業師」根本陸夫さん 生誕100年に故郷で伝説をたどる特別展 遠縁の神戸大准教授「ようやく一つの形として世に出ることになった」
広島、クラウン・西武、ダイエー(現ソフトバンク)で監督を務め「球界の寝業師」と呼ばれた根本陸夫さんの生誕100年の節目にあたる来年、人物像と功績に迫る「根本陸夫展」(1月4日~2月15日)が、生まれ故郷の茨城県東海村で開かれる。現役時代や球団フロントとしての歩みに加え、地元名家としてのルーツや信仰、人間関係まで掘り下げた内容となっている。
会場には、根本さんが実際に着用したユニホームやサインボールなど、野球人生を物語る貴重な品々が並ぶ。さらに今回は、父親や祖父に関する資料も展示されているのが特徴だ。
父・時之介さんは、東海村の村長として原子力施設の誘致に尽力した人物。祖父の代から根本家は地元の名士として知られ、ロシア正教の宣教師ニコライが来日した際には接遇した豪商でもあった。邦訳されている『ニコライ日記』にも根本家の名が記されており、陸夫さん自身もロシア正教徒だったという。
展示準備には、かつて根本さんの薫陶を受け、現役時代は西武、ダイエーで活躍しオリックスの監督も務めた石毛宏典さんも協力。石毛さんのユニホームをはじめ、盟友・関根潤三、さらに西武、ダイエー時代に獲得した選手たちにまつわる資料も展示され、根本さんが築いた「人のつながり」が可視化されている。
展覧会を支えているのは、親族の存在でもある。息子や甥らがユニホームや資料を提供し、展示の中核を成した。遠縁にあたる神戸大大学院国際文化学研究科の辛島理人准教授は「親族が持っていた品々が、ようやく一つの形として世に出ることになった」と感慨深げに語る。
辛島准教授によれば、自身の父は根本さんのはとこにあたり、祖母はいとこの息子だった陸夫さんを「陸坊」と呼んでかわいがっていたという。「父は、現役を引退し広島でコーチをしていた頃の根本さんと会い、野球の話をしたと聞いています」と、生前の交流も明かしている。
根本さんは妻の実家がある神戸を拠点に生活し、近鉄でプレーするなど関西との縁も深かった。「ほとんど家にいなかったそうですが」と笑いながらも、「引退後も神戸に住み、関西と深く関わっていたことを、もっと多くの人に知ってもらいたい」と思いを語る。
「デジタル中心の社会だからこそ、根本さんが大切にしていた“リアルな人間関係”の価値を、この展示を通じて感じてほしい」。全国に張り巡らせた人脈と信頼関係こそが、球団を強くした原動力だった。
関連イベントとして、1月25日には石毛さんが「おやじ・根本陸夫を語る」と題してトークショーを開催する。根本さんを父のように慕い、ともに時代を築いた石毛さんが、その素顔や哲学を語る貴重な機会となりそうだ。
生誕100年を迎えたいま、改めて浮かび上がるのは、勝利のために人を育て、つなげ続けた一人の野球人の姿。東海村で開かれる「根本陸夫展」は、「球界の寝業師」の原点と、その思想の深さを体感できる場となる。
◆根本 陸夫(ねもと・りくお)1926年11月20日生まれ。ダイエー球団社長時代の99年4月30日に急死(72歳)。茨城県出身。171センチ、64キロ。右投右打ち。捕手。法大から52年に近鉄入団。57年までプレー。現役引退後は指導者・フロントとして手腕を発揮。選手としての通算成績は実働4年、186試合、370打数70安打、2本塁打、23打点、打率・189。





