日大三・本間律輝“主将の重圧”も意地の3安打 三木監督を「日本一の監督として漢にしたかった」
「全国高校野球選手権・決勝、沖縄尚学3-1日大三」(23日、甲子園球場)
決勝が行われ、沖縄尚学(沖縄)が日大三(西東京)を3-1で下し、1962年に初出場してから11度目の挑戦で初優勝を果たした。沖縄県勢としては2010年の興南以来15年ぶり2度目。センバツを2度制した沖縄尚学は3度目の甲子園制覇となった。日大三は11年以来3度目の優勝を目指したものの、惜しくも届かなかった。
表面張力の限界が訪れたように、一度は落ち着いた感情があふれ出す。三木監督への思いを問われた日大三の本間律輝外野手(3年)は「本当に勝たせたかった監督ですし…」と話し出すと、天井に目線を向けた。3秒間の沈黙。再び言葉を紡ぐが、うまく出てこない。「三木さんが初めて1年生から見てくれた代。日本一の監督として漢にしたかった」。そう話すと、一筋の光が頰を伝った。
クラリネットとトランペットの音色が、本間を伝統校へと導いた。姉の彩香さん(28)と遥香さん(24)は、ともに日大三吹奏楽部の部長経験者。その縁で幼少期から同校の応援に足を運んだ。「姉が楽器を吹いている中で選手たちがプレーする姿をずっと見ていた」。“三高愛”が実り姉2人と同じ学校へ進むと、1年秋からベンチ入り。名門の主将を任されるまでに成長した。
準決勝まで15打数3安打と結果が出なかったが、この日は先制打含む3安打。前日にバットを変更し、意地を見せた。「『三高の3番』は一番良い打者が打つと言われていた。伝統校、キャプテンの重圧もありましたけど、やってきたことは出せた」。試合後は甲子園の全方向に頭を下げる“グッドルーザー”の姿に球場全体から拍手を送られ「最後に認められた感じがした」と感謝した。
西東京大会前、彩香さんからプレゼントされたお守りの中には手紙が入っていた。「一つでも多く勝って、最後に読めれば」と話していた本間。日本一長い夏を経て、胸を張って開くときが来た。
◇本間 律輝(ほんま・りつき)2007年6月12日、18歳。神奈川県相模原市出身。右投げ左打ち。178センチ、78キロ。小学2年から東林ファルコンズで野球を始め、東林中では海老名シニアに所属。日大三では1年秋からベンチ入り。50メートル走6秒2、遠投100メートル。目標の打者はOBの広島・坂倉。





