松井秀喜氏 恩師・長嶋茂雄さんとの「約束果たしたい」2人きり対面2時間 巨人監督就任「今はお話しできません」
元巨人の松井秀喜氏(50)が4日、肺炎のため3日に89歳で死去した巨人・長嶋茂雄終身名誉監督をしのんだ。米国から緊急帰国し、早朝に長嶋さんの自宅を弔問した。巨人時代に最強の師弟コンビを組んだ恩師との別れを惜しみ、生前の約束を果たすと誓った。
穏やかで、朗らかな表情だった。長嶋さんの訃報に接し、普段生活している米国から急きょ帰国した松井氏。早朝に自宅を訪問し、2時間以上滞在した。生前の長嶋さんと最後に会ったのは1月上旬。次女の三奈さんの計らいにより、2人きりの場が設けられた。「いろんな思い出を呼び起こしながら過ごしました。今にも目を開けそうなくらい意思のあるように感じた」と語った。
最大の恩師の死と直面した。「ショックでしたね」。表情には覚悟と決意が詰まっていた。長嶋さんの思いをどう受け継ぐかについて「生前、約束したこともあります」と明かす。その中身は「ここでは今はお話しすることはできません」とした上で「その約束を果たしたいなと思います」と力強い口調で誓った。生前、ミスターは松井氏の巨人監督就任を熱望していたとみられる。2人が思い描いた同じ夢をかなえるため、まな弟子の腹は固まったようだ。
巨人入団が決まった時、師弟コンビのドラマが幕を開けた。1992年のドラフト会議。阪神など4球団が1位で入札した競合の末、監督に復帰したばかりの長嶋さんが当たりくじを引き当てて巨人に入団した。「一番は感謝。監督との出会い、縁がなければ、松井秀喜という野球選手は全く違った野球人生を送ったと思う」と懐かしそうに振り返る。
長嶋監督は松井の「4番1000日計画」を立て、二人三脚で取り組んできた。松井氏は長嶋監督の自宅や遠征先のホテルで素振りし、それをチェックしてもらった。まさしく英才教育だった。「いろんな時間を過ごし共有させてもらいました。本当に私は幸せ者です」と頬を緩める。「素振りで会話した。松井秀喜という野球選手において、最も大切なことを授けてくださいました」。宝物のような大切な時間であり、思い出だ。
ミスターの熱血指導が実が結び、ゴジラは日本を代表する4番、主砲に成長し、大リーグでも活躍した。13年には国民栄誉賞を2人同時に受賞した。「私に授けてくださった、たくさんのこと『全てにありがとうございました』とお伝えさせていただきました」。亡き師匠に伝えた言葉。約束を果たすという“行動”で感謝の思いを表す。



