球界で最もファンを大切にした男 キャンプ地の宮崎が大好き「さざんかの宿」「旅姿三人男」熱唱【長嶋茂雄さん歴代担当記者悼む】
国民的スーパースターで「ミスタープロ野球」の愛称で親しまれた巨人・長嶋茂雄(ながしま・しげお)終身名誉監督が3日午前6時39分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。89歳だった。葬儀・告別式は近親者のみで行う。喪主は次女三奈さん。後日、お別れの会を開く。戦後日本、高度経済成長期の象徴的存在だった。娯楽のまだ少なかった時代、巨人の「4番・サード」として、光り輝いていた。勝負強い打撃、華麗な守備、走る姿もまた、格好良かった。もらった感動、元気、勇気、笑顔は数え切れない。
◇ ◇
天真らんまんで朗らかなイメージがどうしても強い。マスコミ、記者に対してはいつもサービス精神を忘れなかった。
球場以外の場所でミスターを探すと高い確率でネタをつかめた。当たり前だが他社のマークは厳しい。ある年の宮崎キャンプ。深夜に巨人の宿舎で数人の記者が声を潜めて待っていると外出先から戻ってきた長嶋監督は立ち止まっておもむろに話し始め、“一面級”の話題を提供してくれた。報道陣との食事会の場で記者が、自身の結婚を発表するとうれしそうに「ケーキを持ってきなさい」とスタッフに依頼し、盛大に祝ってくれた。
細やかな配慮があった。ご飯を食べる暇もないほど熱心で猛烈に取材をする“長嶋番”のある記者がいた。ある日のできごと。長嶋監督は、おもむろに「うまいもの食べてる?」とその記者に話しかけ、差し出した手には分厚い封筒が収まっていた。封筒には現金30万円が入っていた。その記者は大感激し、恐れ多くて30万円を使うことができなかった。
巨人のキャンプ地である宮崎県が大好きだった。第二の故郷ではアグレッシブで口調も滑らかだった。「(ムードが)暗いのは宮崎の“サン”(太陽)には合わない」と朗らかな笑みを浮かべた。ある年の2月1日夜のこと。宮崎の料亭で、お世話になる地元関係者と長嶋さんの食事会が開催された。お酒も入りほんのり顔を赤らめたミスターは持ち歌の「さざんかの宿」や「旅姿三人男」を熱唱した。
マスコミや地元関係者の後ろには常にファンがいる-。そう言い聞かせて行動し、発言していたように思う。だからこそリップサービスやファンサービスも欠かさず、巨人を強いだけではなく人気もあるチームにすることを念頭に置いて指揮を執った。球界で最もファンを大切にした男。私はそう思っている。心よりお悔やみ申し上げます。(デイリースポーツ・1998~2001、03~07、11~14、21~23年巨人担当・伊藤玄門)





