日本ハム・新庄監督「瀬古さんになりたかった」 少年時代の夢はマラソン選手 プロ野球は「第2志望」

 「ロッテ1-4日本ハム」(29日、ZOZOマリンスタジアム)

 日本ハム・新庄剛志監督(52)が就任3年目で初の開幕戦勝利をマークした。就任287試合目での初の貯金1。そんな指揮官が少年時代に憧れた意外なスポーツ選手とは?

  ◇  ◇

 1983年12月、福岡国際マラソン。11歳の少年はゴール地点の平和台競技場にいた。最後の100メートルで瀬古利彦(SB食品)がジュマ・イカンガー(タンザニア)を抜き去って優勝したシーンを目の当たりにした-。

 「オレ、マラソン選手になりたかった。瀬古さんになりたかった」。子供の頃から野球選手を目指していたか-という問いに、新庄監督は即答した。

 小学校時代、父・英敏さんが入手した、胸に「S&B」と入った赤いタンクトップがお気に入り。夏はもちろん冬でも着用して通学した。「マラソン大会はほとんど余裕で1位だったけど、最後の150メートルまでついていって、そこから『俺は瀬古剛志だ』って。同じポーズで1位になった」と瀬古の走りもコピーした。

 「瀬古さんになれなかったら、プロ野球選手になろうって。第2志望だった」と振り返る。マラソン選手の夢を諦めさせる父の言葉があった。

 「いやいや、金もうけするんだったらプロ野球選手やぞ、剛志」-。

 「そうか。カウンタック乗りたかったから。あのカー消しゴム。あ、プロ野球選手にしようかなって」。新庄少年の当時のファッションは「S&Bのタンクトップにデニムの半ズボンに、ハイソックス。靴は買ってもらえなかったから、上履き」と今からは想像のできないものだったほど。第2志望はあっさり第1志望に変わった。

 「スポーツ万能やったから。なれるやろっていう感じでしたね。プロのレベル見ても大したことないなって。俺の方が全然上やなって。で、3年やってダメだったら実家の植木屋を継ごうと」

 3年目の92年、レギュラーの座をつかんだ。93年の契約更改ではカウンタックで登場し夢の一つをかなえた。新庄監督にとって節目は3年。メジャーでも3年でプレー。日本ハムでも3年目に日本一になった。そして今季、監督3年目の開幕を鮮やかに飾った。(デイリースポーツ日本ハム担当・鈴木創太)

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