名監督も真っ青となった造反劇の舞台裏 あの最強軍団阪急で長池、藤井が2者連続の代打拒否

 元阪急ブレーブス(現オリックス)の4番で、本塁打王と打点王を各3度獲得した長池徳士氏(80)は現役晩年、ベンチの代打指令に対し、断ったことがあるという。つまり“代打拒否”だ。

 この前代未聞ともいえる造反事件は1978年のシーズン中に起きた。

 ケガによる長期離脱から復帰したベテラン長池が大活躍した次の日、自らの予想に反して先発メンバーに名前がなかったという。

 次の日も、そしてその次の日も、同じように代打が続いた。

 シビレを切らしたころに、また代打指令。抑えていたものが、ついに爆発した。

 「僕は行かない!」

 上田利治監督に真っ向から反発する強烈な意思表示。監督とベテラン選手の正面衝突にベンチはざわついた。

 ただ、この一件には伏線があった。あるひと言が原因で、監督に対する信頼が揺らいでいたという。

 長池の負傷箇所は右手人差し指と中指の付け根の間にある腱(けん)が切れたもので、1カ月間バットが振れずに苦しんでいた。

 ベテラン選手の途中離脱。年齢的にも限界が近づいてきていることは自分でも分かっていた。「チーム構想というものは監督によって違ってくる」ということも当然、理解していた。

 とはいえプレーヤーとしての本能は、引退するまで消えることはない。

 「そのころ僕はもう衰えてました。でも選手というのは、いくら自分の力が落ちてきても“来年こそは頑張ろう”と思うものなんです」

 ところが、上田監督の気になる発言が“新聞辞令”の形で間接的に伝わってきたことがあったという。

 「“長池は4番としての信用を失った”というコメントでした。調子が悪くて打てなくなっていた時季ですよ。それもあって僕は“信用のない選手”なのだから(という理由で代打を)断ったんです」

 功労者の晩年に起こりがちな話ではあるが、ミスターブレーブスへの配慮という点で希薄だったと言わざるを得ない。

 さて、大打者・長池徳士が代打を拒否-。

 これだけでも大変な事件なのに、その後の展開で騒ぎはさらに大きくなっていったようだ。

 この時点では、まだ球審に交代を告げていなかったため、ベンチは“代わりの代打”を探すことになった。そこで今度は藤井栄治に代打指令が下ったが、これまた拒否したという。

 「確か、あのときはロッカールームにおったと思うけど、私も気乗りがせんから断ったんですわ」

 当時の様子をうっすら覚えているという藤井氏だが、さすがに豪傑で鳴らした人。拒否の理由も豪快だった。

 天下の名将・上田利治も真っ青?の代打のたらい回しで結局、打席に立ったのは…。

 「面白い時代だったね。サムライですよ、みんな」と笑いながら懐かしそうに語る長池氏。

 いろいろあったようだが、これで何のお咎めもないのだから、上さんもかなり懐の深い人だったに違いない。

(デイリースポーツ/宮田匡二)

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