落合監督が信頼した谷繁元信氏 思い出す2004年の日本シリーズ 正妻の言葉で交代→続投で満塁被弾

 落合博満氏
 勝ち越し満塁弾を放ち両手をあげアピールするカブレラ。うなだれる岡本=04年10月
 カブレラの満塁弾で岡本を交代する落合監督=04年10月
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 NPB歴代最多の3021試合出場を誇る元中日の谷繁元信氏が18日、野球殿堂入りを果たした。あのノムさんを超える記録を持つ扇の要は、落合博満監督から絶大な信頼を寄せられていた。

 2002年に横浜(現DeNA)から中日に移籍。04年に就任した落合監督の下では、8年間で4度のリーグ優勝、1度の日本一を正捕手として導いた。

 落合監督は当時、「アイツが一番近くで投手の球を見ている。ボールが落ちてきたな、今日は調子が悪いな、もう立ち直れなさそうだなとか、ベンチで見てる俺らよりも分かることがある。だから、こっちが投手交代で迷う場面ではアイツの意見を大事にした」と語っていた。

 思い出すのは就任1年目でリーグ優勝を飾った2004年の西武との日本シリーズ。1勝1敗で迎えた第3戦。6-4とリードした七回、六回から登板していたセットアッパーの岡本真也がアレックス・カブレラに勝ち越しの満塁本塁打を打たれた場面だ。

 この回、1死から中島宏之に二塁打を許し、西武ドームの三塁側ベンチを出た。交代を決意してマウンドに歩を進めた。三塁側ブルペンからは左腕・高橋聡文がグラウンドに足を踏み入れていたが、谷繁が続投を望み、その意見を聞き入れた。連続四死球で満塁。それでも落合監督は動かなかった。佐藤友亮に同点の2点二塁打を許し、2死からの四球を挟んでカブレラに勝ち越しのグランドスラムを浴びた。

 落合監督は試合後、「こっちのミスで負けた。それ以上でもそれ以下でもない。動いちゃいけないところで動いた監督のミスだ。選手に余計なプレッシャーかけちゃったな」と谷繁も岡本も責めることなく、敗北の責任を一身に背負うコメントを残した。

 谷繁はのちにこの試合をこう振り返った。

 「あの試合は負けたけど、監督から信頼されてるなと感じた試合のひとつになった。結果として俺の判断が悪かったんだけど、交代を決めながらも続投に変えてくれたんだから。なかなかできることじゃないと思うよ」

 06、10、11年とリーグ優勝を果たし、07年の日本シリーズ第5戦では完全試合による日本一達成というシビれる試合でマスクをかぶった。敗戦の痛みを忘れることなく、勝利につなげられる名捕手だった。

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