中日・福留「どれだけやれるか」走り続けた24年間 〝普通〟に触れるのも楽しみ【特別手記】

 笑顔で練習する福留(左)と小笠原
 引退セレモニーでスピーチする福留(撮影・石井剣太郎)
 引退セレモニーに駆けつけた鳥谷敬氏(左)、岩瀬仁紀氏(右)と記念撮影する
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 「中日3-9巨人」(23日、バンテリンドーム)

 中日・福留孝介外野手(45)が23日の巨人戦(バンテリン)で現役最後の試合に臨んだ。8日に日米24年目となる今季限りでの引退を発表し、この日は引退選手特例で登録された。現役を終えた思いを手記にしたためた。

  ◇  ◇

 ファンの皆さまへの思いは「感謝」。今の心を表現するのに最も合っている言葉です。スタンドの声援に対して「よしやってやる」「任せとけ」と思ってきた。最近では「ありがたいな」と思う比重が大きくなった。引退を発表してからは少しずつプレッシャーもなくなり、時間がゆっくり過ぎているような気もしていました。

 長くプレーして感じていたのは、辞めるよりも現役でい続ける方が大変だということ。一度辞めて、もう一度なんて無理な世界。どれだけやれるか、と思ってきました。

 シンプルな思考だったかな。いつも「やれることをやるしかない」と信じて毎日を過ごした。不調で球場までの道のりを変えたり、食べ物を同じにしたり、験担ぎみたいなものはない。同じ道を通って、出されたものを食べ、球場を出るときにスイッチを切る。勝った日のビールはおいしいな、その繰り返し。

 米国で日本復帰を決めて帰国した飛行機。思い出しても「また日本で野球をやるんだな」、少し「どうやって新しいチームに溶け込もうかな」と考えたぐらい。起きてない未来を深刻に考えても、仕方ないもん(笑)。できたプレーを自信にして、できなかったプレーは「自分が下手くそだからだ」と処理して練習してきた。

 プロ野球を含めてどの世界も、結局は自分で選んだら自分の責任。言い方を変えると、自分で決めたからこそ、自分で責任を取れる。会見の数日前にバンテリンドームナゴヤで監督に引退を報告した。もう決めたから、監督室に入って「ありがとうございました」と。それだけ伝えました。

 振り返れば、不確定な未来を憂うことはなかった。中学3年で鹿児島から大阪・PL学園への進学を決めた。「一番のところでやりたい」と思ってから、ほかが選択肢からなくなった。ドラフトを終えて、日本生命にお世話になり、もう一度、ドラフト。ドラゴンズに入れた。その時も、ドラゴンズだけ。自分がここでやりたいという思い。米国挑戦も自分をためしてみたい、と。

 所属を変えたら、居場所は「つくる」ではなく「できる」と思い込んでやる。できると思ってやる。最後はやるべきことをやるしかない。

 チームメートには勝たなきゃ面白くないぞ、と思う。若い選手は多いし、伸びしろはある。若い世代は「自分」というのをすごく持っている。競技として進化していて、オレが入団したころよりもスピードとパワーがついた。

 みんながみんな同じ打ち方では打てない。自分の感覚、感性は大切だし必要。指導された内容を合うか合わないかやってみて、最後は自分で答えを出す。出した答えには責任が伴う。責任を取るのは指導者ではなく選手個人。思っていることを、パフォーマンスとして表現してもらいたい。一人になる時間をつくって、たくさん練習してもらいたい。

 球界では来年3月にはWBCがある。米国経験者として、戦えると思っている。日本の教育も「できないことをやれるように」から「やれることを伸ばせば、できないことも少しずつできるようになる」という考え方にシフトしている。細かいプレーも外国ができない、やらないプレーを日本はできる。日本らしく戦えば、十分やれると思っている。

 最後に個人的な話を。45歳までやれば体の変化もある。朝起きてガバッと体を起こしたらどこかピリッとしてけがをするかもしれない。目が覚めて床に手を突いて、ゆっくり起き上がる。起床の形も変わった。

 これからしばらくはゆっくりするかな。来夏は、人生で初めての夏休み。そういえば、最後に盆踊りに参加したのはいつだっけ、覚えてない(笑)。金魚すくいも、子どもの学校行事しか経験していない。

 これまで野球ばかりだった。世間一般が「普通じゃん」というものを、やっていない。家族の支えや存在にはすごく感謝している。これからつくれる時間を妻と子どもと共有して、普通に触れるのも楽しみのひとつかな。(中日ドラゴンズ外野手)

 ◆福留孝介(ふくどめ・こうすけ)1977年4月26日生まれ、45歳。鹿児島県出身。182センチ、90キロ。右投げ左打ち。外野手。背番号9。今季推定年俸3300万円。PL学園から日本生命を経て、98年度ドラフト1位で中日入団。1年目の99年4月2日・広島戦(ナゴヤドーム)で初出場初先発(2番・遊撃)。首位打者2回、最高出塁率3回、MVP1回、ベストナイン4回、ゴールデングラブ賞5回。08年にFAでカブス移籍後、インディアンス、ホワイトソックスでプレー。13年に阪神で日本球界復帰。21年から中日在籍。96年アトランタ・04年アテネ五輪、06・09年WBC日本代表。

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