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“最後”のPL戦士 凡事徹底の精神で戦い抜いた“ラストゲーム” ロッテ・藤原の兄、海成さん

 名門のユニホームが高校野球界から消えて6年-。2016年夏のPL学園ラストゲームで、右肩の故障を抱えながら出場した藤原海成(かいせい)さん(24)。実弟に大阪桐蔭で春夏連覇を達成し、ロッテにドラフト1位で入団した藤原恭大外野手を持つ“最後の戦士”が今、あの日の記憶をひもといた。

 高校球界をけん引してきた名門校の“ラストゲーム”は、あまりにも残酷で、壮絶だった。「逆転のPL」という名文句そのままに最後の戦士11人は懸命に戦い、一時は中盤に試合をひっくり返したが…最後は力尽き1点差で東大阪大柏原に逆転負け。黒土に突っ伏して号泣する選手がいた。泣きながらスタンドのOBたちに向かって「申し訳ありませんでした!」と叫ぶ選手もいた。

 その中で奮闘していたのが藤原海成さん。「頑張ったら勝てたかもしれない試合で、自分で負けたと思っているんです」。好機で4打席三振に倒れ、チームを勝利へ導けなかった。春季大会で右肩関節唇を損傷した影響で、満足にバットを振れる状況ではなかった。

 それでも「OBの方々もスタンドにたくさん見に来られて、最後まで精一杯頑張ろうと思っていました。凡事徹底の精神で最後まで戦い抜くという感じでプレーしていた」。1人が前日の練習で負傷し、戦えるメンバーは3年生10人。それでも名門の名を背負う責任感を胸に、最後まで戦い抜いた。

 当日の花園球場はPLの名を惜しむOB、ファンが結集し満員。外野フェンスの奥まで人であふれていた。「PLのユニホームを着てプレーできて幸せでした」と語った海成さん。「PLの野球というのはガッツポーズも見せないし、昔の野球だと思います」と当時を振り返りつつ、社会人となった今、3年間の高校野球生活で学んだことが生きているという。

 「あいさつとかも含めてPL学園で学んできたことは野球以外でも今に生きています。洞察力や周囲への目配り、気配りとか。仕事でもしんどいことがあっても、しんどいとか何も思わないのは高校時代の経験のおかげかなと思います」

 2016年7月15日のゲームを最後に、PL学園は高校野球の表舞台から姿を消した。ただ中日・立浪監督をはじめ、巨人・桑田チーフ投手コーチなど歴戦のOBたちは今も、野球界の中心で活躍を続けている。

 自身が1年生の秋に部員募集の停止が決まるなど激動の3年間を過ごし、PL最後の夏を戦った海成さんは「PLでは隙を見せない野球をやってきた。力は出し切って負けた感じはする」と言い切る。伝統のユニホームを身にまとい、全力で戦って敗れた記憶は、かけがえのない経験となって今に生きている。

 ◆PL学園野球部 1956年創部。1962年センバツで春夏通じて甲子園初出場。「逆転のPL」と言われた78年夏に初めて全国制覇した。春は20度出場し優勝3度(81、82、87)。夏は17度出場し優勝4度(78、83、85、87)。87年に史上4校目の春夏連覇を果たした。甲子園通算96勝は中京大中京、龍谷大平安に次いで史上3位。16年夏を最後に公式戦出場はなく、17年3月に大阪府高野連を脱退。現在も部員募集など活動再開のめどは立っていない。

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