西武・松坂 感動与え続けた“平成の怪物”伝説に幕 こん身のMAX118キロやり切った
「西武2-6日本ハム」(19日、メットライフドーム)
今季限りでの引退を表明していた西武・松坂大輔投手(41)が19日、埼玉・所沢市内の球団事務所で引退会見を行った。その後の日本ハム(23)戦(メットライフ)では引退試合として先発のマウンドに立ち、1番に座った横浜高の後輩、日本ハム・近藤健介外野手(28)に四球を与えて降板。23年間のプロ生活に別れを告げた。
わずか5球-。だが、松坂大輔の生きざまを示した最後の投球だった。世界を驚かせた剛球はない。直球の最速は118キロ。それでもこだわり続けたワインドアップからの投球で、打者・近藤に四球を与えてマウンドを後にする背番号「18」へ、惜しみない万雷の拍手が降り注いだ。
時折涙を浮かべた会見では「本当は投げたくなかった。これ以上、情けない姿は見せたくないと思っていた」と語っていた。だが「本来ならマウンドに立つ資格がないが、これまで応援してくれた方への感謝と、自分自身にけじめをつけたいと思ってマウンドに上がった」と覚悟を持って臨んだ登板だ。
故障と戦い続けた23年間。レッドソックス時代の08年、オークランド遠征中に右肩を痛めた。それ以降は「自分が求める球は投げられなかった。その時々の最善策を見つける作業だった」という。
西武に復帰した昨年は「右腕のしびれが強く出た」とし、7月には脊椎内視鏡頸椎(けいつい)手術を受けた。懸命のリハビリで今年4月には2軍での実戦復帰も見えた矢先、ブルペンで投じた1球が運命を決める。
「(右腕のしびれで)右打者の頭の方にボールがとんでもない抜け方をした。たった1球でボールを投げるのが怖くなった」。休養しても症状は改善せず。引退決断に至った。
自身へ「諦めの悪さを褒めてあげたい」と話した松坂。その原点は伝説の一戦だ。「諦めなければ最後は報われる。それを強く感じたのは夏の甲子園(98年大会の準々決勝)のPL学園との試合。あの試合が諦めの悪さの原点」と話した。
「僕みたいな一番良い思いと、どん底を同じぐらい経験した選手はいないかも」という栄光と苦難に彩られた日々。それでも松坂は「(野球が)好きなままで終われて良かった」と静かに笑う。
試合終了後、本拠地のマウンドに右手を置き「もう最後だなという思いと、今まで投げてきたたくさんの球場、マウンドに対してありがとうございましたと伝えた」と涙。そして最後は仲間たちの胴上げで5度、宙を舞い笑顔がはじけた。多くの人々から愛された松坂大輔。涙と笑顔で激動の日々に幕を下ろした。
◆松坂 大輔(まつざか・だいすけ)1980年9月13日生まれ、41歳。東京都出身。182センチ、92キロ。右投げ右打ち。投手。横浜時代の98年春夏全国制覇。同年度ドラフト1位で西武入団。99年4月7日・日本ハム戦(東京ドーム)でプロ初登板初先発初勝利。最優秀防御率2回、最多勝3回、最多奪三振4回、新人王、沢村賞、ベストナイン3回、ゴールデングラブ賞7回。2007年にポスティングシステムでレッドソックス移籍。13年途中からのメッツを経て、15年にソフトバンクで日本球界復帰。06・09年WBC日本代表(いずれもMVP)。