垣野多鶴氏死去 69歳 アトランタ五輪野球日本代表コーチで銀メダル獲得にも貢献

 日本野球連盟は10日、社会人野球界の名将でアトランタ五輪の野球日本代表コーチとして銀メダル獲得に貢献した垣野多鶴(かきの たづる)氏が4日に川崎市内の病院で死去したことを発表した。享年69歳。死因は肺炎。通夜・告別式は家族葬にて執り行われ、遺族の意向で香典、供花、供物は辞退している。

 垣野氏は長崎県出身で、佐世保工から東海大を経て、三菱自動車川崎でプレー。指導者としては日本代表コーチの他、1999年から2008年まで監督を務めた三菱自動車川崎(2001年より三菱ふそう川崎)で、都市対抗野球で3度の優勝を果たした。2008年から13年まではNTT東日本でも監督を務めた。

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