明豊・京本 ポケットに遺骨、グラブに刺しゅう “亡き兄”と戦い抜いた甲子園
「選抜高校野球・決勝、東海大相模3-2明豊」(1日、甲子園球場)
春夏通じて初の決勝進出となった明豊は、大分県勢として1967年に優勝した津久見以来54年ぶりの頂点はならなかった。
力を貸して-。九回1死満塁。サヨナラのピンチを迎えた京本はマウンドで“亡き兄”を頼った。だが、この日投じた24球目は、無情にも遊撃・幸のグラブをはじき中堅へ。相手の三塁走者が生還するのを横目にうつむき、唇をかんだ。
小学2年生の頃、4つ年上のいとこで、大阪の実家が近かった難波創平さんに憧れて野球を始めた。一緒にキャッチボールをしてくれる“兄”の姿は全てが格好良くて、必死に背中を追いかけた。
だが、悲劇は突然起きた。2019年1月、難波さんが通学中に交通事故に遭った。当時中3だった京本は、明豊の入試で大分に行っていた。入試を終え、帰りの飛行機を待っていた空港で知った悲報。急いで大阪の病院に駆けつけたが、もう一度声を聞くことはかなわなかった。
今回の甲子園では遺骨をポケットに入れ、「創平と共に」と刺しゅうした愛用のグラブで臨んだ。ピンチの時は必ずその言葉を見て、力をもらった。
敗戦後、「少し高めに浮いた」と後悔を口にした京本。日本一のエースになるためには、もっと成長しなければならないことを痛感した。「夏は日本一取ります」。この悔しさは必ず次で晴らす。空に向かってそう誓った。