木内幸男さん死去 大胆な策で2度の夏の甲子園制覇 KK破った石田の起用術

 取手二(茨城)、常総学院(茨城)の監督として春夏通じて甲子園3度の優勝に導いた木内幸男氏が24日午後7時5分、肺がんのため茨城県取手市の病院で死去した。89歳だった。茨城県出身。甲子園には春7度、夏15度出場し、歴代7位の通算40勝。選手一人一人の能力を引き出し、大胆な選手起用や戦法で「木内マジック」と呼ばれた。葬儀・告別式は30日の予定で喪主は娘婿の岡田誠(おかだ・まこと)氏。

  ◇  ◇

 木内氏はたびたび、大胆な策を繰り出して好結果を生んだ。精神野球ではなく、超高校級の選手もいないが、教え子を地道に観察し続けて能力や性格を把握した。2度の夏の甲子園大会制覇もその成果だった。

 「どうせ言ったって言うことを聞かない連中だから」と、のびのび野球で育てた取手二時代の1984年決勝。2年生のエース・桑田と4番・清原を擁して2連覇を狙うPL学園戦の九回裏、石田文樹が本塁打を浴びて4-4と追い付かれた。さらに死球。サヨナラの雰囲気が高まる中、石田を右翼へ移して左腕の柏葉勝己を登板させた。

 送りバントを失敗させた後、再び石田をマウンドへ。気を取り直した主戦は清原を三振、桑田も打ち取った。柏葉は準決勝で先発したがぴりっとせず、途中降板した。ワンポイントの継投で柏葉に汚名返上の機会を与え、石田は闘志を再びかき立てた。直後の十回表に4点を勝ち越した。

 常総学院を準優勝に導いた87年の3回戦では、後に米大リーグで活躍した尽誠学園の伊良部秀輝を攻略。その采配が「マジック」と形容されるようになったのは、この頃からだった。

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