ロッテ・古谷、声援もっと感じたかった…次は球団営業マンで“登板”

 【第2の人生へプレーボール】

 今オフも多くの選手が所属チームを退団した。新天地に働き場所を求める者、引退して指導者として歩み出す者がいれば、ユニホームを脱いで新たな世界に挑戦する者もいる。彼らの第2の人生にエールを込めて、スポットを当てる。ロッテ・古谷拓哉投手(36)を追う。

  ◇  ◇

 古谷といえば、思い出すのが13年6月26日のオリックス戦(京セラドーム)だ。あと1人でノーヒットノーラン達成までいきながら、坂口に三塁打を喫して大記録はならなかった。

 場内インタビューで「期待を裏切って、すみませーん」とわびたのも今ではいい思い出だ。「七回あたりから、1死取るごとにすごい歓声でしたからね」と振り返る。

 来年1月5日の球団開きとともに、古谷は営業マンとして再スタートを切る。10月3日に戦力外通告を受けた。一時はトライアウト受験を考えたが、球団から営業の誘いを受けた。約1カ月間も悩んだ。

 12年目の今季は1軍登板がなかった。限界を知らされていた。今、しみじみ思う。「右翼スタンドの応援に力をもらって、自分の気持ちも入る。幸せでした。それをもっと感じてやっていたかった」。それでも決断した。「自分なりに一生懸命やってきた」との自負があればこそだった。

 スーツ姿でシーズンシートの販売、新たなスポンサー探しなど、営業の間口は広い。「球団からチャンスをいただいた。新しいことに挑戦できる。不安はありません。気持ちを切り替えています」と前を見据える。

 プロ初登板は06年8月30日のソフトバンク戦(千葉マリン)、先発して2回3失点で黒星デビュー。初白星は4年後の10年5月3日の日本ハム戦(千葉マリン)だった。1、2軍を往復しながらも、左腕であることで重宝されて、主に中継ぎで起用されてきた。

 一度、こうと思ったら自分を曲げない。意外なまでに頑固な一面がある。そんな古谷は先発に転向した13年、小谷投手コーチ(当時)からこう言われた。

 「(他人から)話を聞いて、こういう考えもあるんだなという思考にならなくては」

 思い当たる節があった。何かを感じた。この年、9勝1敗の好成績。振り返るとキャリアハイとなった。

 「12年間、よく使ってくださいました」と話すが、“史上最大の下克上”と言われた10年の日本シリーズで活躍、そして13年の“ノーヒットノーラン逃し”…。ファンの記憶にいつまでも残る姿を見せた。

 「またお願いします」。頭を下げる姿はもう立派な営業マンだった。

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