元阪神・グリーンウェル氏死去 「嵐のように去って行きましたなぁ」吉田義男氏と同じ年に 広大な自宅、息子と野球して入団交渉待つ【悼む】

 米大リーグ、レッドソックスで外野手として活躍し、阪神でもプレーしたマイク・グリーンウェルさんが死去した。9日、レッドソックスが発表した。62歳だった。球団によると、甲状腺がんで闘病していた。メジャー12年間で通算打率・303を記録し、97年に阪神加入。だが、5月10日・巨人戦で自打球を当て右足甲を骨折すると「神のお告げがあった」と発言し、7試合の出場で退団して現役引退。大きな話題となった助っ人だった。

  ◇  ◇

 訃報を聞いた瞬間、29年前の出来事が脳裏を駆け巡った。

 とにかく、いろいろあった。1996年オフ。5年間勤務した東京から10月に関西に戻り、担当したのが当時“暗黒時代”真っただ中の阪神タイガース。フランス・パリにいた吉田義男氏が三度目の監督に返り咲き、西武からFA宣言した清原和博の獲得に名乗りを上げ、失敗…。11月にかけて怒濤(どとう)の時間を過ごして迎えた12月、彼との出会いがあった。

 マイク・グリーンウェル。レッドソックスの大物選手がなぜ日本、しかも阪神に来たのか…。「超大物外国人が来る!!」との情報を得て取材を始め「東海岸の球団に所属」というところまで絞り込めたが、最後の一押しを欠いて記事化できなかった。一歩先んじたライバル他紙が報じる紙面を見て歯がみしたが、まさか入団交渉の取材に現地まで行くことになるとは夢にも思わなかった。

 のちに球団社長となる野崎勝義氏(当時は常務取締役)と渉外担当に同行する形で、12月下旬、関空から渡米。ロスで一泊し、翌日フロリダ州オーランドに入った。ここから交渉場所となったアルバという町のグリーンウェルの自宅に向かう。えっ、自宅で?日本からの“取材団ご一行様”は球団手配のバスに乗り、ほぼ観光気分で彼の待つ邸宅に向かった。

 契約交渉はともかく、広い敷地にびっくり。「さあみんな乗って!!」と手招きされて専用トラクターに乗り、ディズニーランド並みに広大な敷地を案内された。「そこにワニがいるよ」などとガイドよろしく説明する大物助っ人。よもや、翌年波瀾(はらん)万丈の結末を迎えるとは…交渉が終わるまで彼の息子と野球して遊んだ我々は一体なんだったのか、といまさら思う。

 神のお告げ-。この言葉が出るたびにあの冬を思い出す。「嵐のように去って行きましたなぁ」と言った吉田義男氏と同じ年に天に召されたのは必然だったのか。しかし、62歳は若すぎる。(デイリースポーツ・中村正直)

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