中田良弘氏 すごい打線だった85年の阪神 日本S第3戦先発で負け投手も貴重な経験

 球団史上初の日本一に輝いた1985年を含め、阪神は日本シリーズにこれまで6回、出場している。その時の戦いぶりはどんなものだったのか。選手として、コーチとして、関係者として関わった本紙評論家が当時を振り返る「リメンバー日本S」。今回は中田良弘氏が1985年、西武との日本シリーズを語った。

  ◇  ◇

 チーム打率は・281。チーム本塁打は219本。1985年の阪神は吉田監督の下、圧倒的な攻撃力で21年ぶりのリーグ優勝を果たした。

 「3番のバースが54本、4番の掛布さんが40本、5番の岡田さんが35本。こんなクリーンアップは過去にもそうないよね。それに1番の真弓さんも34本でしょ。少々先に点を取られても、すぐに取り返してくれる。『打たれても勝つ』、という野球だよね。本当にすごい打線だったよ」

 中田氏は当時のチームをこう振り返る。チーム防御率はリーグ4位の4・16。強力打線が投手陣をカバーしながら白星を積み重ねた。自身はシーズン当初のリリーフから6月以降は先発に回り、12勝5敗の好成績を残した。

 「当時はリリーフで複数イニングを投げるのが当たり前の時代。自分に打順が回ってくるまでは投げる感じだった。先発が崩れた後に2番手で2、3イニングを投げている間に打線が逆転してくれることがよくあった。だからリリーフ陣の勝利数も多かったんじゃないかな」

 打線に引っ張られながら投手陣が力を付け、見事にリーグ優勝。西武との日本シリーズでは、その投手陣が存在感を示した。

 第1戦で池田が6安打完封。第2戦はゲイルが力投し、第5戦は2番手で四回から登板した福間が4回無失点の好投で勝利投手になった。そして第6戦はゲイルが3失点完投勝利。4勝2敗で球団史上初の日本一に輝いた。

 「自分は第3戦に先発して負け投手(1回1/3を4失点)になったけど、満員の甲子園球場で日本シリーズ独特の重たい空気を感じながら先発マウンドに立つことができたのは、貴重な経験だった。あれから38年。プレッシャーはあると思うけれど、今回は何とか日本一になってほしいね」

 中田氏は後輩たちに、温かなエールを送った。

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