元阪神・横田慎太郎さんが死去 仲間からもファンからも愛された背番号24、28歳で早すぎる別れ 脳腫瘍

 花束を手に号泣する横田さん
 (前列左から)高山、北條、中谷に担がれマウンド方向へ向かう横田さん
 8回、ソフトバンク・塚田の安打を処理し、本塁生還を狙った二走・水谷を補殺する横田さん
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 阪神は18日、外野手として6年間プレーした球団OBの横田慎太郎さんが18日午前5時42分、脳腫瘍のため死去したと発表した。28歳だった。通夜・告別式は未定。喪主は父真之(まさし)氏。横田さんは現役時代の2017年に脳腫瘍が発覚。寛解したが1軍復帰は叶わず、2軍での引退試合で奇跡のバックホームを披露し、感動を呼んだ。不屈の闘志で病に打ち勝ってきたが、再発した脳腫瘍で帰らぬ人となった。

 誰よりも野球が大好きだった。最後にタテジマのユニホームで戦った日も涙を流していた。あれから約4年後。あまりにも早すぎる別れが待っていた。18日午前5時42分。28歳の若さで横田慎太郎さんが天国へと旅立った。

 現役生活ラストプレー、奇跡のバックホームは一生、語り継がれる。17年の春季キャンプ中に、ボールが二重に見えるという症状から脳腫瘍が発覚。闘病生活を送り、寛解したものの、視力が回復せず19年に引退を決断した。

 同年の9月26日のウエスタン・ソフトバンク戦(鳴尾浜)で行われた引退試合。同点の八回途中から中堅の守備に就き、本塁突入を試みた走者をノーバウンドのレーザービームでアウトに。選手やファンも総立ち、横田さんも満面の笑みだった。

 野球人生の「ベストプレー」と笑っていた。「野球の神様が(背中を)押してくれた」。16年は、金本新体制で「2番・中堅」の開幕スタメンをつかむほど、将来を嘱望された選手だった。思い描いた野球人生ではなかったかもしれない。最後の最後に最高のプレーができたのは、横田さんの努力あってのことだ。

 17年以降は脳腫瘍のリハビリや治療に関する大量の資料と向き合う日々。それでも、実戦復帰を諦めたことは一度もなかった。誰よりも早く球場入りし、ブルペンでマシン打撃や素振り、ノックを受けた。練習後は、虎風荘の屋上でもバットを振り続けた。「掛布さんが陰の努力、陰の練習が大事って言ってましたから!!」。その言葉が支えだった。

 引退から1年たった20年。さらなる試練が襲った。7月ごろから足や腰に痛みを覚え、9月に精密検査を受けた結果、「脊髄腫瘍」と診断。約6カ月間にも及ぶつらい闘病生活を送った。新型コロナウイルスのまん延もあり、病院からも出られない日々。脳腫瘍の時同様、抗がん剤や放射線などの治療で脱毛も経験し、心が折れそうだったが打ち勝った。

 誰からも愛された横田さんになぜ、神様は試練を与え続けたのか。再発した脳腫瘍が憎い。虎党は決して、「背番号24 横田慎太郎」の勇姿を忘れることはないだろう。

 ありがとう、横田慎太郎-。

 ◆横田 慎太郎(よこた・しんたろう)1995年6月9日生まれ。鹿児島県出身。現役時代は左投げ左打ちの外野手。鹿児島実から13年度ドラフト2位で阪神入団。プロ3年目の16年3月25日・中日戦(京セラドーム)でプロ初出場初先発(2番・中堅)。17年2月に脳腫瘍が判明し入院。8月下旬に寛解を発表。18年から育成契約。19年に引退。父はロッテなどで活躍した横田真之氏。

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