なぜ阪神の4番は特別なのか?掛布氏の名言「4番を辞める時が野球を辞める時」
なぜ阪神と巨人の4番は特別なのか?という声がある。その要因として挙げられるのは各球団発行のメディアガイドに、歴代4番の項目が阪神と巨人に掲載されている。これを基に各メディアは「第○○代4番」という形で報道。戦前のプロ野球創生期から公式記録が残り、報道各社に提供しているのはこの2球団しかない。
そして4番を担ってきた選手の“声”もあると思う。ミスタータイガースと称された掛布雅之氏が阪神2軍監督だった際に、こう言ったのが脳裏に刻まれている。
「僕はね、4番を辞める時が野球を辞める時だと思ってたの」
1985年の日本一以降、故障に悩まされた掛布氏。「4番を打ち続けて、自分が打てなかったせいで負けたこともあった。ファンの方の期待を考えたら、逃げられない、逃げてはいけないポジションなんですよ。だから自分を追い込めたし、いい野球ができたと思う」と4番論を語った上で、「だから4番を外れて野球を続けることが想像できなかった。それは僕の野球じゃない」と明かしていたことを思い出す。
甲子園には熱狂的なファンが集まり、打てなければ容赦ないヤジも飛んだ。それすらも自分の糧とし、4番として君臨し続けた掛布氏。「最初は何も思わなかったけど、田淵さんがいなくなって本塁打王を獲った時くらいかな。責任を感じ出したね。それがプロだし、仕事なんだから。それでメシ食ってるわけでしょ?ちゃらんぽらんではいけないよね」と厳しい表情を浮かべながら語っていた。
また2005年に4番としてチームを優勝に導いた金本氏も同様だ。フルイニング出場の世界記録を達成した際、「なぜ休まないのか?」と問われ「仕事に対する責任感。それだけ」と力を込め「大観衆の前で下手なプレーはできない。最高のパフォーマンスを見せたかった。4番を任せるからホームランを打てと言われ、打撃の研究もした。この環境が、大きくさせてくれた」というコメントが本紙に残っている。熱狂的なファンの声に応えたい一心で技術を積み重ね、選手として成長していった歴史があるように思う。
以降、阪神の日本選手で長く4番に君臨した選手はいない。そのポジションを任されることに意欲を見せる選手も取材をしていて少なかったように思う。むしろメジャーで「2番強打者論」などが出てきたように、時代や選手の気質も変わったんだなと考えるようになっていた。
そんな中、今年のキャンプ最終日だった。佐藤輝が「結果を出すことしか、そこ(4番)にいく道はないと思うので。何番を打っても、しっかり打って、そこにいきたいなという思いはあります」と語ったのが目にとまった。この一言が掛布氏や金本氏が語っていた“阪神の4番を務めた者だけが語れること”を思い出させてくれた。
虎の4番を務め上げることは簡単ではないと思う。それでも両者が4番を打つことで成長することができたと述懐していたように、そのポジションが佐藤輝を成長させるための糧になるかもしれない。(デイリースポーツ・重松健三)
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