矢野監督 恩師・伊藤監督命日に勝利届けた 野球を続けられた「一番の恩人」
「阪神3-2中日」(1日、甲子園球場)
阪神は夏のロード前最後の一戦を接戦でモノにした。「苦しい試合でしたけど何とか粘ってくれた」。矢野監督が1点差での大きな勝利を安堵(あんど)の表情とともに振り返る。
この1勝は天国の恩師へささげる勝利でもあった。8月1日は指揮官が「一番の恩人」と言い切る母校・東北福祉大野球部の伊藤義博元監督の命日だった。「野球自体が続けられないかもしれない環境から野球をやらせてもらった。俺の中ではいなくてはならない人だった」
桜宮高校在学時、一時は東洋大進学を目指しながらも、すでにセレクションでの捕手枠が埋まっており断念。途方に暮れた時に声を掛けてくれたのが伊藤さんだった。
今は同じ“監督”という立場になった。「厳しさもある中で愛情というものが感じられた。どっかで意識の中にはあるかもしれない」。伊藤さんは2002年に56歳の若さで急逝。志半ばで逝った師の遺志を継ぎながら、この先も信念を持って指揮を執る。
この日は甲子園の95周年でもあった。「一つ、一つが積み重なったものが歴史になっていくと思う。僕らが何とか歴史に刻み込まれるように、明日からも頑張っていきたい」。この勝利を弾みに勇躍ロードへと旅立つ。
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