リオで闘う新井貴浩の弟分

 「広島1-2阪神」(10日、マツダスタジアム)

 西麻布の交差点で大男と握手を交わし、再会を約束した。2009年、1月。新井貴浩の紹介でともにテーブルを囲んだ鈴木桂治は、心に深い傷を負って年を越していた。

 04年アテネ五輪の金メダリストが、日本選手団(全競技)の主将を務めた08年の北京で地獄を見た。誰も想像しなかった1回戦一本負け。アテネの100キロ超級から階級を下げ、100キロ級で五輪での2階級制覇を狙ったが、あっけなく夢は散った。「誰とも会いたくない。なるべくなら帰国もしたくない」。これが当時、鈴木が記したブログ。限界もささやかれた元王者は再起を期した年明けに腹を決め、鹿児島・最福寺の山門をくぐった。

 摂氏400度、4メートルの火柱の50センチ前で座禅を組み、顔を腫らして経をとなえた。炎の向こう側には、同じく北京で傷を負った男が極限状態で闘っていた。

 「新井さんの心の大きさに感動しました。強い人、極めている人は心もでかいし、優しさがあるんですね…」

 金本知憲を介し05年から護摩行を始めた新井と出会い、兄貴分と慕った。修行の間、その温かみに触れた鈴木は「ひとつ成長した気がします」とも言っていた。帰京後、麻布で再会した2人が口をそろえて言っていたことがある。

 「切り替えるなんて、簡単にできない」

 北京では新井が4番を担った星野ジャパンがメダルを逃し、国民を失望させた。大会中腰痛を患い、帰国後に腰椎骨折が発覚。そのシーズン、好調なFA砲を失った阪神は13差を原巨人にひっくり返され、歴史的なV逸を食らった。新井にとっても失意で地に墜(お)ちた年になった。

 北京での敗戦直後、鈴木は「負けたからもう一度やります!次は勝ちます!などと簡単に言えるものではありません」とつづった。彼は無念、悔しさを引きずり続け、12年に代表を引退。井上康生が監督を務める柔道全日本のコーチを任され、今、リオで戦っている。前回のロンドン五輪で金メダルなしに終わった国技の復権をかけて仲間と闘っている。

 「やっぱり桂治のことは気になりますよ」。新井からよくそう聞いた。戦うフィールドは違えど勝負に生きる者同士、屈辱をぬぐえぬ者同士、はいつくばって明日へ向かう。

 この夜、新井は最後の打者になった。球児の直球を捉えきれず、悔しげに何やら叫びながら引き揚げた。新井にずっと辛口の金本がこの日、言った。「今年、あいつはいいところで打ってるよ」。また引きずるものが増えた新井は、どんどん虎の脅威になっていく。=敬称略=(阪神担当キャップ・吉田 風)

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