新井兄3打点!自打球で目覚めた元4番
「阪神5-0ヤクルト」(21日、甲子園)
右太ももに激痛が走った。駆け寄ったトレーナーを制し、歯を食いしばる。阪神・新井が極度の不振を打開した証しが、この打席に凝縮されていた。
「痛かったけど、あれで目覚めた」。走者を一、二塁に置いて巡った六回の第3打席。カウント2‐2から内角球を強振すると、自打球が軸足に直撃した。仕切り直した6球目。インハイの直球を呼び込むと、打球は詰まりながら左翼前にポトリ。藤浪を援護する2点目の適時打となり、一塁上で強く手をたたいた。
前打席で今季1号の先制弾を放った。日本一広い甲子園左中間の最深部に飛び込む軌道。「手応えはあまりなかった」と振り返ったが、これも改造打法の詰まった内容。八回には増渕の内角シンカーを引き付け左翼へ。3本目の安打が駄目押しの適時打となり、新井コールが寒空を押し上げた。
どん底の新井に何が起こったのか。13日のDeNA戦前に甲子園で早出特打を行った。この時点で打率は・120。左太もも裏の肉離れで離脱した良太に代わり、7日広島戦で初先発したものの、以降5試合上昇の兆しはなく袋小路に迷い込んだ。不振時の打開策で採用した「打つポイントを投手寄りに置く」思考を一度改め、ボールを呼びこみ、引き付けて打つ作業に転換した。「自打球?あれはそういう意識」。確信めいた手応えが固め打ちにつながった。
プロ15年目の船出は険しかった。沖縄キャンプ中に左脇腹に張りを訴え、1軍本隊から離脱。2月18日に権田トレーナーと共に空路、高知安芸の2軍キャンプに合流した。その夜、宿舎近くの居酒屋で同トレーナーと海鮮鍋を囲み、「ここに来てしまったか…」と力なくつぶやいた。
2軍宿舎で元4番に割り当てられた部屋は、ベッド以外のスペースが3畳ほどのシングル室。練習用具を置けば足の踏み場のない空間に10日間身を置いたが、ここで忘れかけていた感慨と再会した。「広島時代はもっと狭かった」。泥にまみれた20代前半を回想し、「もう一度、はい上がろう」と初心に帰った。
「状態は上がっている。結果が出てうれしい」。荒波で芽生えた原点回帰。36歳の元4番が再出発の汽笛を鳴らした。
