舘ひろしコラム(1)建築家のつもりが
初めまして、舘ひろしです。今年デビュー40周年を迎えました…といっても、気が付いたら40年たっていましたね。聞かされて、ガックリしましたよ。何にも前に進んでないんですけど、ってね。
1975年に「クールス」っていうバイクチームのメンバーとデビューしたんです。何も分からず、バンドをうまく機能させることに腐心してたな。歌手になるなんて思ってもいなかった。チームのみんなでガソリンスタンドか引っ越し屋でもできればいいかなと思ってたんで。その前には映画もやれって言われていたけど、全然やる気なかったし。中退しちゃったけど大学では工学部建築学科で、建築家になるつもりもあったんですよ。
そのころ、僕らは原宿の「レオン」ってコーヒーショップにたむろしてた。ガラス張りだから座りながらバイクが見られて、ちょうどいいってね。どっかに置いておくとイタズラされちゃうから。
そこにキングレコードのディレクターが「レコードを出さないか」って来たの。よく来たよね。歌ったことなんかないんだから。歌えないし、楽器もできないって言ったけど、「何とかなる」って言われて、OKしたら、デビュー曲「紫のハイウェイ」が売れた。
作詞は僕だった。ディレクターが「ひろし、書けよ。おまえのオートバイへの思いを書いたらいいから」って。2日くらいかかったかな。普通に書けたな。そのころ、付き合ってた女の子が横浜にいて、芝公園から首都高に乗って浜崎橋ジャンクションに向かっていくときにちょうど夜が明けた。空が紫に感じたんだよね。それで「紫のハイウェイ」にした。女のために詞を書くことが多いかな。
思えば、流される人生というかね。このコラムだってそう。流されてやることになりました(笑)。これまでのこと、これからのこと。流されるままに語りますので、お付き合いください。
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舘ひろし(たち・ひろし)1950年3月31日、愛知県名古屋市出身。74年に岩城滉一らとバイクチーム「クールス」を結成。75年に同チームの選抜メンバーでバンドを組み、ボーカルとしてデビュー。俳優としても76年に映画「暴力教室」でキャリアをスタート。84年にはソロ歌手として「泣かないで」が大ヒット。83年に石原プロモーション入り。主な出演作に「西部警察」や「あぶない刑事」シリーズ。身長181センチ、A型。
