【競輪】記者35年目、22歳の新山響平から教えられたこと
「競輪記者コラム・仕事 賭け事 独り言」
あまり後ろを振り向きたくないけど…年を重ねると、ふと幼少の頃を思い出すことが多くなるものだ-。
記者は1963年の7月に千葉県で産声を上げた。野球にプロレス、相撲などスポーツの話で盛り上がるばかりでなく、競馬や競輪などギャンブルの話題までしながら明るく盛り上がるごくごく普通の家庭で育った。
女性でありながら将来の夢は「野球選手になること」と小学校の卒業アルバムに記するほど野球に燃えていた。母校である千葉市立新宿小学校の大先輩で“ミスタータイガース”掛布雅之さんの影響が大きかった。家が近所であり、掛布さんと記者の実兄は一緒にキャッチボールをしたことがある。その頃、掛布さんは気がつけばいつもバットとボールを握りしめていた。まるで、当時テレビで放映していた巨人の星のようだった。
その後は中学生になると横浜に転校。千葉での日々も徐々に忘れていくようになった。
思春期を過ぎると野球選手の夢も薄れていき、気がつけば競輪記者になった。
この仕事も大好きになって、今年で35年目に入った。どれだけの人と話をしたことだろう。これ以上ない財産としか言い切れないほど大きなモノを手につかんだ。最初は選手も年上ばかりだったが、いつの間にか息子、娘でもおかしくない年齢の選手が増えてきた。その中で新山響平(22)=青森・107期・S2=から、「人生は長い-」と教えられた。
若い人はすぐ結果を求めたくなるが、新山は先を見据えて細かな努力の積み重ねが大事だと言った。さらに、「充実する練習の積み重ねによって夢は得られる。この先、何が起こるか分からないし、何年もかかる話でしょう」。
少し弱まっていた記者魂を強くしてくれたことに、感謝感激の気持ちで胸は高まった。
今後も、好きな仕事ができる幸せな気持ちを大事にしながら、前を向いて突き進んでいきたい。(関東競輪担当・吉野みどり)