壮絶人生送り…淡路恵子さん死去

 喜劇からシリアスな作品まで幅広く活躍した女優・淡路恵子(本名・井田綾子=いだ・あやこ)さんが11日午後5時24分、東京都港区の病院で亡くなった。80歳。遺体が安置された豊島区の仙行寺で会見した長男の晃一郎(俳優・島英津夫)さんによると、昨年7月に入院先の都内の病院で直腸、食道のがんなどが見つかり、「年内までもつかどうか」と家族に宣告されたという。葬儀・告別式の日取りは未定。喪主は晃一郎さんが務める。

 結婚、離婚、借金、息子の死‐。波瀾(はらん)万丈に生きた淡路さんが壮絶な人生の幕を下ろした。

 晃一郎さんによると、淡路さんは7月1日の入院後に直腸がんなどが発覚。医者からは家族に「12月まで」と宣告されていた。直腸がんは取り除けない状態で人工肛門をつける手術を受けた。入院当時1・5センチほどだった食道がんは5センチに広がり、モルヒネ投与で痛みを和らげていたという。10月には晃一郎さんに「南無妙法蓮華経」と書いた写経を「かたみと思って受け取って」と手渡していた。

 淡路さんは高校中退後、49年に黒澤明監督の「野良犬」で映画デビュー。50年代に映画「この世の花」、60年代には映画「駅前」「社長」両シリーズなど喜劇映画で活躍したほか、63年の日本テレビ系「男嫌い」などドラマにも多数出演した。

 私生活では苦難の連続だった。53年にフィリピン出身の歌手ビンボー・ダナオ氏と結婚、晃一郎さんと次男をもうけたが、夫の浮気が原因で65年に離婚。66年に俳優・萬屋錦之介さんと再婚すると、女優業を引退し、三男と四男を出産した。

 しかし、萬屋さんの個人事務所が13億円の借金を背負って倒産。筋無力症にかかった萬屋さんを看病しながら六本木の雇われママも経験したが、86年に萬屋さんと元宝塚スターで親友の女優・甲にしき(72)の不倫が発覚し、87年に離婚した。

 90年には三男がバイク事故で急逝、97年には元夫の萬屋さんが死去。2010年には、淡路さんの自宅に窃盗に入り実刑判決を受けていた四男が首つり自殺するなど、不幸が続いた。12年には09年に知人から借りた100万円をめぐり裁判所から利子を含めた残金の支払いを命じられていた。

 晩年はバラエティー番組の“ご意見番”として活躍。昨秋放送のTBS系「嵐を呼ぶあぶない熟女」には声で出演していた。

 激動のドラマに見舞われた淡路さんは、萬屋さんの弟子で自身の付き人も務めていた女性に見守られ、穏やかな天国へと旅立っていった。

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