菅原文太さんも逝く…また昭和の名優が

 映画「仁義なき戦い」「トラック野郎」シリーズなどに主演し、昭和を代表する映画スターだった俳優の菅原文太(すがわら・ぶんた)さんが11月28日午前3時、転移性肝がんによる肝不全のため、都内の病院で死去したことが1日、分かった。81歳。葬儀・告別式は家族葬で行い、納骨も済ませた。喪主は妻文子(ふみこ)さん。文子さんはコメントを発表し、晩年に力を注いだ反戦と無農薬農業への思いに触れ、「これらを願い続けているだろうと思います」としのんだ。

 菅原さんは2007年にぼうこうがんを患い、温存療法などによる治療で全快していたことを10年に公表。その後も3カ月に1度の定期検診を受けるなどしていた。

 今年11月1日には、沖縄県知事選に出馬した翁長雄志氏の応援演説に登場していたが、その後がんが見つかり、11月13日に都内の病院に入院。治療を続けたが、28日、帰らぬ人となった。

 妻の文子さんは「がんを発症して以来『朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり(朝に生き方を悟れば、夕方に死んでもいい)』の心境で日々を過ごしてきたと察しております」と孔子の言葉を引用し、夫の生きざまを表現した。

 菅原さんは早大中退後、劇団四季やファッションモデルを経て新東宝で映画デビュー。その後松竹から東映に移籍した。73年にスタートした「仁義なき戦い」シリーズで主人公の広島やくざ・広能昌三を演じ、ドスの利いた広島弁と圧倒的な存在感で実録路線の看板となった。また、75年からの「トラック野郎」シリーズでは、一転してコメディータッチの演技を披露し、大ヒットに貢献した。

 01年には長男で俳優の菅原加織(かおる)さんを踏切事故で亡くし、一時は俳優引退をほのめかしたこともあったが、03年には「わたしのグランパ」に主演。「千と千尋の神隠し」(01年)や「おおかみこどもの雨と雪」(12年)では声優を務め、フジテレビ系のテレビドラマ「北の国から」やNHK大河ドラマ「利家とまつ」などにも出演した。

 晩年は岐阜県飛騨市に移住し、農業に従事。09年からは山梨県内に移り住み、最後は福岡で暮らしていた。

 12年には、東日本大震災をきっかけに俳優引退を決意。山田洋次監督の「東京家族」を降板した。引退と前後して社会活動に力を入れ、国民運動グループ「いのちの党」を結成。反戦と無農薬有機農業を広めることに力を注いだ。文子さんは「ちいさな種をまいて去りました。すでに祖霊の一人となった今も、これらを願い続けているだろうと思います」と亡き夫の活動を誇った。

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