【広島V検証】緒方野球の信念にある3人の恩師の教え

 「常勝鯉の幕開け 25年ぶりV検証(下)」

 優勝後のビールかけは、小窪選手会長の発声から始まった。「まさかじゃない!」と叫ぶと、選手らが「見たか!!」-と返して一斉にスタート。25年間、辛酸をなめ続けた男たちの思いが凝縮された言葉だった。広島に来て29年。カープ苦難の歴史は、緒方監督のプロ野球人生と重なる。

 「人生を導いてくれた3人」。指揮官が感謝を口にするのは、鳥栖高の平野國隆元監督、村上孝雄(旧姓・宮川)元広島スカウト、広島の三村敏之元監督だ。恩師は3人とも既に他界した。とりわけ緒方野球のルーツとなったのは、高校時代の3年間だったという。

 中学3年の時、平野監督率いる鳥栖高が甲子園に出場。実家近くにある高校の快進撃に、緒方少年は進学先を決めた。文武両道で偏差値も高かったが「鳥栖高に入りたいから、塾に行きたい」と猛勉強。努力のかいあって入学した。高校野球のレベルの高さに驚きながら、そこからは野球漬けの毎日だった。

 鳥栖高は強打のイメージが強いが、在籍時は守りのチームだった。当時は二塁手。守備範囲の広さから、菊池より先に佐賀球場で「芝の上で守っているヤツがいるぞ」と話題になった。「孝市を全国の舞台で見てもらいたい」-。今も年に一度は集まる同級生は、そんな思いで戦っていた。平野監督も徹底して野球を教え込んだ。

 いかに無安打で点を取るか、緻密な野球を徹底。重盗、バスターエンドラン…。今季、広島で多く見られた攻撃だった。「孝市は足も速かったので、盗塁失敗は見たことがない」とは当時、副主将を務めた高木健さん(佐賀県三田川中教諭)。今季、指揮官が掲げたのは伝統復活。走攻守で魅せる野球の根底だ。

 「たった一人しかない自分を、たった一度しかない人生を、本当に生かさなかったら、人間生まれてきたかいがないじゃないか」

 プロ入りが決まった18歳の冬、卒業文集の寄せ書きに書いた。感銘を受けた作家・山本有三の「路傍の石」にある一節。横に「オレは輝くぞ」-と添えた。平野監督に育まれ、村上スカウトに見いだされ、三村監督に導かれた。指揮官として采配する信念に、3人の思いが凝縮されている。輝くぞ-と誓って29年。花開いた。超満員の球場で7度、高々と宙に舞った。=終わり

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