元中日・森徹氏死去 ミスターの好敵手

 中日で4番打者を務め、全国野球振興会の理事長を務める森徹(もり・とおる)さんが6日午前8時52分、肝細胞がんのため東京都文京区の日本医大病院で死去した。78歳だった。葬儀・告別式は11日午前10時30分から東京都荒川区町屋1の23の4の町屋斎場で。喪主は長男健(たけし)さん。

 森さんは昭和30年代の中日を支えたスター選手だった。早大から入団した1958年、新人王はライバル長嶋茂雄に譲ったが23本塁打をマーク。翌59年には二冠王となった。

 プロレスのスター、力道山との親交も人気に拍車をかけた。森さんは旧満州生まれ。幼いころ大相撲の巡業があり、森さんの母・のぶさんが当時新弟子だった力道山の面倒を見た関係で兄弟のような付き合いになったという。入団発表では後見役として同席したほどだった。

 中日では濃人渉監督との確執があった。森さんは頑固なタイプで、濃人監督は好き嫌いが激しい性格。そりがあわず、結局、わずか4年で大洋(現DeNA)に移籍した。

 66年には東京(現ロッテ)に移籍したが、因縁の濃人監督が67年途中から就任。68年限りで引退した後も波乱に満ちていた。翌69年、米国や中南米を転戦する「グローバルリーグ」が誕生すると、監督に就任。チーム名は「東京ドラゴンズ」と名付けられた。資金難でリーグは半年で消滅。その後は日本プロ野球OBクラブから社団法人として改組された全国野球振興会の役員となり、2011年から理事長を務めていた。

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