石田三成を追って~滋賀・長浜【上】
石田三成といえば負のイメージが付きがちだ。狡猾(こうかつ)、陰険、陰湿、などなど。しかし、出身地の滋賀県が三成で観光促進を狙って動画投稿サイトYou TubeにCMを公開したところ、短期間で85万回以上も再生された。歴史好きの女性を指す“歴女”の間では“ミツナリスト”という三成ラブの女性もいるらしい。意外と人気のある三成ゆかりの地を滋賀県に訪ね、(上)(下)でお届けする。まずは関ケ原の合戦後、三成が最後に潜んでいたとされる「オトチ洞窟」。
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関ケ原の合戦に敗れた三成が東軍の追っ手から逃れ、最後に潜んでいたという洞穴が滋賀県長浜市古橋にある。その名は「オトチ洞窟」。大蛇を指すオロチが転じてオトチとなったと伝わっている。
出発地点は通常なら宿と食事を兼ね備えた己高庵(ここうあん)。片道4キロ。登りは約90分、下りは40分。大したことはなさそうだが…前日は深夜1時ごろまで働いて寝不足だし、なんと言っても寒い。なので短いルートを選択。登山口まで車で移動した。ここからだと片道約900メートル。
ちょっとしたハイキングコース程度だろうと思っていたら甘かった。地元の人が整備してくれているものの斜面、ぬかるみ、斜面、ぬかるみの連続。スニーカーではなく登山靴が必要だ。三成が隠れていたほどの場所だ。簡単には近づけない。
「三成伝説」(サンライズ出版)の著書(共著)がある田附清子さんが同行してくれた。田附さんはミツナリストを自認する。三成がオトチ洞窟に潜んでいたという確かな文献は残っていないが、地元では長く伝えられてきたという。
約40分ほどかけて到着。入口は洞穴というより岩にすき間ができているという程度の大きさ。現代人ならそもそもここに入ってみようとは思わないだろう。はしごをつたって降りた。
内部は思いのほか広い。しかし、日はほとんど入らず、湿っぽい。天井にはコウモリが数匹、身を寄せ合ってぶら下がっていた。人間が入ってきても逃げないし、触っても逃げなかった。毛が柔らかくて体もあたたかい。
三成は五奉行の1人として強大な権力を持っていたにもかかわらず、最後こんなところに潜んでいたかもしれないと思うと、もの悲しい。捕らえられた後は処刑され、三条河原に首がさらされたという。「盛者必衰の理」という言葉が浮かぶ。
次は合戦の地へ行ってみよう。
◆石田三成とオトチ洞窟
洞窟の標高は約560メートル。三成が幼い頃に修行をしていたと伝わる法華寺の北、通称「北谷」と呼ばれる山の中腹にある。古橋の伝承によると、関ケ原から逃れた三成はいったん法華寺に身を寄せたが追っ手から逃れるため、幼なじみの与次郎に案内されてオトチ洞窟に潜伏したという。逃走中に三成が腹をこわし、与次郎がニラ粥をつくって三成を看病したとも伝えられている。
◆己高庵 JR北陸本線木ノ本駅からタクシーで約10分。オトチ洞窟へは案内が必要。問い合わせは奧びわ湖観光協会(TEL0749・82・5909)。
