長嶋賞にふさわしい全力走
【6月3日】
試合後の会見で指揮官の藤川球児に聞いてみた。佐藤輝明について…。意地を見た最終回の本塁打、その感想を求めたのではない。四回、無死一塁。併殺を阻んだ全力走についてだ。
球児は言った。
「それを見て周りがどう響くか。こちらには非常に響いていますし、やっぱり、自分だけのプレーではなく、チームを背負う…。そこにいくまでの選手はその姿を見て感じなければいけないし、連動してこなければいけない。誰かに任せていればそうなるかもしれない…そういう情けないチームにするつもりはない、というところですね」
伝統球団を率いる将の強い言葉だった。1点を追うあの回、二ゴロの輝は全力で一塁へ駆け込み、間一髪併殺を逃れた。判定はアウトだったがリクエストで覆った。結果、得点はならなかった。それでも「チームのためになんとかしたい」気持ちは伝わってきた。
台風6号が去った甲子園に希望の虹が架かった。気取って書けばそんな感じ。暗闇でも映えるレインボーとでもいおうか。満員スタンドが酔った。敗戦でも4番の一発に癒やされた夜だ。
気象庁によれば、6月の本州上陸は12年以来、14年ぶりだという。当時の台風はよく覚えていないけれど、あの年の阪神のことは覚えている。
12年は和田豊政権の初年度で5位に沈んだシーズンだ。55勝75敗で借金20。交流戦まで5割前後で粘ったが、夏以降は沈んだ。良い記憶も掘り起こせば、いくつか出てくるが、藤川球児の通算200セーブ到達はその一つ。だが、寂しかったのはその球児が同年限りで海を渡ったこと。「メジャーでも頑張れ」というより「投手主将」が居なくなるマイナスの方が気がかりで。
そして、14年前といえば、もう1人、チームの柱が去った年でもある。
金本知憲が12年限りでユニホームを脱いだ。鉄人の引退会見で忘れられない言葉がある。現役21年間で「一番の誇り」を聞けば、金本は言った。
「連続無併殺記録です。併殺は打率が下がる局面ですけど、そこで全力で走ってゲッツーにならなかったという…。内野安打になるのであれば誰でも走る。ならない局面で全力で走ることができたことは、ある意味では連続フルイニング出場の記録よりも、全然、自分では誇りに思っています」
連続1002打席無併殺打。アニキが通算2539本のヒットよりも、通算476本の本塁打よりもこの数字に胸を張ったのは「チームのために自分がどれだけできたか」に拘ってきたからだ。あれ以来、「阪神の4番」は今もイズムを継承しているように思う。大山悠輔しかり…。この夜は4番に座った輝の全力走に魅せられた。
台風一過の虎獅子戦は特別なものにしてほしかった。ミスタープロ野球が旅立って1年。新設された「長嶋茂雄賞」の記念すべき第1号に注目が集まるシーズンでもあるが、個人的には、佐藤輝明にぜひとも。数字的にはもちろん、数字以外でも、唯一無二のスター性、そして、「チームを背負える」藤川阪神の象徴として。=敬称略=
